米沢駅で、仙台駅まで途中下車可能な乗車券を購入。
その日のうちに福島駅へ移動し、福島市のホテルに宿泊。
朝食後
チェックアウトし、福島城跡へ。

開城時間とか無いので、早朝から効率良く城巡れる手はず。

↓福島城本丸跡

いきなり本丸跡。
福島城跡には現在、福島県庁が建つ。
この日はウィークデー、出勤してくる公務員
の方々と、メッチャすれ違う
。


リュックを背負ったぷにゅたは、この場でかなり異質な存在
だったことだろう。

↓福島城跡

ちょっと奥へ入ったところ。藤棚のベンチがある。
↓紅葉山_説明

紅葉山公園は、二の丸御外庭という庭園だった所で、往時の面影を残す、とある。
↓福島城址碑

そのまま右手に進むと、あったあった、福島城址碑。
今日は、バリウムを飲む日らしーな。ゲップは我慢してけろ。
↓福島城跡_説明

~福島城年表~
- 杉ノ目氏の居館、寺があった事から、杉目城または大仏城と呼ばれた
- 1189年(文治5)伊達朝宗が源頼朝より伊達郡を与えられる
- 1413年(応永20)大仏城を本拠地とし、伊達持宗が関東公方に対し反乱を起こす
- 1565年(永禄8)伊達晴宗が隠居城として杉目城へ移る
- 1591年(天正19)自領を没収された木村吉清が、蒲生氏郷与力として信夫郡5万石を与えられる。のち杉目城へ移り福島城と改名、城下町を形成さす
- 1598年(慶長3)上杉景勝が会津若松120万石の領主に。福島城主は水原親憲、のち本庄繁長。伊達氏の侵攻に備え、本格的に城塞化する
- 1600年(慶長5)北の関ヶ原。伊達政宗が白石城を奪い、さらに福島まで攻め込むも、本庄繁長・水原親憲らに撃退される
- 1664年(寛文4)上杉氏15万石に減封。福島は幕府領となる
↓
本多忠国3年
↓
幕府領
↓
堀田正仲4年
↓
幕府領
↓
- 1702年(元禄15)板倉重寛が3万石で藩主となる。二ノ丸御殿や庭園を整備。以降、明治維新まで板倉氏
- 1706年(宝永3)半兵衛火事
。城郭のうち3/4が焼失する
- 1868年(慶応4)奥羽越列藩同盟に加担。板倉勝尚は降伏・開城する
- 1873年(明治6)廃城令だされる
- 1918年(大正7)福島競馬場
が開設
いや、最後のは関係ないから!
↓大佛城跡出土の宝塔

何だコレ?ミステリー。
偶然見つけた。
↓大佛城跡出土の宝塔_説明

明治の初め、土塁近くで発見されたもので、墓碑として建てられたもの。
「弘安六年」(1283年)と刻まれており、福島城が杉妻寺を城塞化したものだ、という事を示す。とても貴重な大佛城跡(福島城の旧名)の遺構だ。
福島城跡の最南端、阿武隈川のキワに建つ。
藩祖・板倉重昌(島原の乱で戦死した人)、板倉重矩父子を祀る。

↓福島城と板倉氏

江戸時代、藩主の守護神だったが、明治に再建。

東日本大震災の被害を受けたが、平成25年に社殿が再建された。
↓福島城推定復元図

南東は阿武隈川を天然の濠とし、他は堀と土塁で守る平城。
天守などは建てられなかったようだ。
↓阿武隈川

板倉神社から見る阿武隈川。
東北では屈指の長さである。
橋は天神橋。
↓阿武隈川_下流方向

下流は岩沼市(仙台空港がある市)にまで北上している。
大仏橋。その奥に隠れているのは、松齢橋。
↓二の丸御外庭_説明

今さらの二の丸御外庭の説明、サンキュー

子供の落書きみたいなんだが残ってて、当時の状況がほぼわかる。
↓二の丸御外庭跡

説明を読んだ上でもう一度見てみる。
数少ない福島城の遺構と言えるかもしれない。
※ ※ ※ ※ ※
板倉神社脇の階段から川縁に出て、川沿いに右へ。2分歩いて川縁から上がる。
↓福島城土塁跡

駐車場内に土塁の一部が残っている。
↓福島城土塁跡_説明


あまりにも自然な感じで存在している為、土塁だと気付かない人もいそうだ。
↓土塁跡をまたぐ階段

↓福島城土塁跡_遠景

※ ※ ※ ※ ※
再び川縁に降り、今度は左へ。
川縁の道を使って出勤してくる人、メッチャ多いんですけど。。

↓長楽寺_山門

松齢橋を越えた辺りで、適当に上がり北上。この長楽寺は、本庄氏の菩提寺である。
この辺りは三ノ丸の東隅にあたり、近くには船着場もあったようである。
もしかしたら、朝やからまだ門が閉まってる恐れあるよな~・・・ホッよかった、開いてた開いてた
。

中に入ると、奥さんが境内の掃き掃除中。
朝も早よから何ですか?いう顔で「はい
」。

「本庄さんの・・・」と言うたら、ああ、どうぞっていう感じに。
↓本庄繁長一族之碑
