米沢城跡の上杉神社でレンタサイクルし、南下。
約7分で林泉寺に到着。
↓林泉寺_説明
この春日山林泉寺は、直江兼続夫妻の墓があることで有名だ。
もとは春日山城(新潟県)麓に、長尾能景(謙信の祖父)が開基したのが始まり。
↓林泉寺_境内マップ
それでは、その他の御仁の墓も見てみよう。
料金所で「何と、武田さんのお墓もあるんですよ~!」という前フリしてくれたのだが、これがその武田信清の墓か。
大きめな五輪塔が立派だ。
↓武田大膳大夫信清の墓_説明
なるほど、景勝に嫁いだ姉・菊姫を頼って上杉家に寄寓したのか。
信玄の死後、武田と上杉で同盟🤝したのは知ってたが。
信玄の六男。ちなみに彼の血筋は現代にまで続いている。
信長存命なら、上杉もどうなったか分からないから、同じ年内に本能寺の変があって、助かったね。。
↓甘糟備後守景継の墓
こちらも万年堂スタイル。大河ドラマ「天地人」では、パパイヤ鈴木さん。
甘糟景継(あまかすかげつぐ)は酒田城代、白石城代などを務めた景勝の重臣。
関ヶ原の戦い時の会津征伐前に、軍議のため留守にしている間に、白石城をまんまと伊達政宗に奪われた。
↓甘糟備後守景継の墓_説明
なお、信長の野望シリーズ登場で近年、特定の方の注目を集める甘糟景持は、彼の遠縁にあたる。
↓上杉家子女廟所_案内
直江夫妻の手前に、柵で囲われた一角がある。
中に入ってみよう。
↓お豊の方の墓
お豊の方は上杉鷹山の側室。
本妻である幸姫には、発達障害・脳障害があったといわれ、実質はお豊の方が本妻同然だったと思われる。
鷹山より10歳年上で、藩政改革を陰日向より支え続けた。
↓仙洞院の墓
仙洞(桃)院(せんとういん)は、謙信の姉で景勝の母。
兼続少年を気に入り、景勝の補佐にゴリ押しした、という話もある。
一方で、娘は景勝の敵・上杉景虎に嫁いでおり、「天地人」では高島礼子さんが謙信の遺書をねつ造していたが、あり得ない脚色だろう。。
↓菊姫の墓
そしてこちらが上杉と武田の橋頭堡、菊姫の墓。
信玄娘で、武田勝頼の異母妹。
人柄も良く才色兼備だったそうで、上杉家中でも大切に扱われた。
↓菊姫の墓_説明
天地人では、比嘉愛未さんだったようだが、すいません、記憶に無いです。
↓竹俣当綱家の門
山門は、もと竹俣当綱家の門(移築)だったようだ。
竹俣当綱(たけのまたまさつな)は、鷹山の命で藩政改革を主導したうちの一人だ。
↓上杉鷹山公お手植えのしだれ桜
鷹山公が藩政改革の決意をしたためた誓詞を奉納した際に、手ずから植えたとされる垂れ桜。
老木のため、支え棒が付いている。
※ ※ ※ ※ ※
↓上杉家廟所_入口