↓本丸跡
本丸の西北へ回り込む。
柵が無かった所から、本丸内部の様子をチラ見。
正面奥に見えるのが、一文字門か。
↓北不明門
西不明門と北不明門を見て回るつもりだったが、西不明門に向かう道の分岐を見落とし、通り過ぎてしまっていた。
写真は城外から見返した北不明門(きたあかずもん)。
↓北堀_東側
北不明門橋から右手の堀を見る。
正面奥の出っ張った所が、肴町向櫓(さかなまちむかいやぐら)跡。二ノ丸の北東部にあたる。
↓北堀_西側
↓北不明門橋
山形城では二ノ丸内に駐車場があり、こちらの橋を車が通行できるようになっている。
・・・さては後世に改変したか。
↓北不明門跡
北不明門の近くに山形城址碑がある、とパンフに載っていたが、ちょっとどこにあるかわからなかった。
↓本丸発掘調査
北不明門から再入城し、時計回りに南下する。
再び本丸を見ながら歩いていく。
何か、石積みっぽいものが見えてますね。
↓最上義光公勇戦の像
ようやく東大手門付近まで来た。その前には最上義光像が。
二本脚で絶妙なバランスで建っているところが、カッコいいポイントか。
手にもってるのは槍では無く、指揮棒らしーな。
兜の前立てのみ、金色。
お顔はよう見えんかった。
反対側からも一枚。
↓最上義光公勇戦の像_説明
最上義光が産まれた時は、最上家は数ある出羽の一大名に過ぎず、しかも伊達家に服属する状況。
からスタートし、ザックリ言うと出羽・庄内52万石の大大名にまで押し上げた凄腕の武将である。
↓最上義光顕彰詞碑