山形城!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

2023年4月、JALのスマイルキャンペーンを利用して、一泊二日の東北旅行に行ってきた。

タッチアンドゴーで、スマホをかざすスマホだげで楽々入場・・・のはずがエラー注意
画面を見た係員「これはJALですね、ここはANAですので、右のターミナルに行って下さい」、だって~ビックリマークやばっ、急がねばガーン

そういえば、昔からJALとANAの区別あんまりついてなかったわ。
似たようなキャンペーンもやってるし。

↓富士山?
富士山?
無事間に合い、定刻にフライト飛行機
山形空港まであっちゅう間。

↓山形城跡_霞城セントラルより
山形城跡_霞城セントラルより
空港からバスバスで山形駅前へ。

まずは霞城セントラルいう建物の最上階の24階展望台にあがる。ここでは山形市内を一望できる。

もう最上義光像っぽいもん、見えとるな~。

↓南方面
南方面
山形盆地を囲む山々。蔵王スキー場雪とかは、もうちょっと左かはてなマーク

↓南追手門橋
南追手門橋
あまりゆっくりしてられないので、早速山形城跡走る人
最速で南門から入城。城の東にも大手門があるが、南大手門も古絵図に描かれている。

↓二ノ丸南堀_西側
二ノ丸南堀_西側
門から遠ざかると、二ノ丸のグルリは土で造られているのがわかる。

↓二ノ丸南堀_東側
二ノ丸南堀_東側

↓南追手門
南追手門
内枡形の形状。

↓南大手門跡プレート
南大手門跡プレート

↓霞城公園案内図
霞城公園案内図
字が小そうて、よう見えん。

敷地は霞城(かじょう)公園という。
(二ノ丸)堀に囲まれた区画のみが残っている。

↓二ノ丸南土塁
二ノ丸南土塁
入ってすぐ、南東の土塁にあがる。門の近く以外は、実は土の城である。

↓塀の礎石
塀の礎石
土塁の上に造られた小道を進むと、柵外に塀の礎石を確認できる。
古絵図を見ても、二ノ丸の周りを土塀らしきものがグルリと囲んでいる。

↓巽櫓跡
巽櫓跡
南東隅まで来た。

何じゃこりゃはてなマーク
「猿よ、一晩で城を築け!」的な、ハリボテの櫓。

↓にゃんこ城主?
にゃんこ城主?
全然警戒心の無い城主猫猫あたまたち。

↓藤棚
藤棚

南東隅で土塁を降り、城内部の方へ。

↓旧済生館本館
旧済生館本館
ここに堂々と建つ旧済生館本館
明治11年に建てられた擬洋風建築で、重要文化財キラキラ

元は医学校を兼ね備えた病院病院とのこと。

ふーむ、明治初期かぁ~。当事の最先端の建築物だろうねにっこり。。

現在は、山形市郷土館として使われている。

↓首洗い石鉢
首洗い石鉢
その郷土館の庭にある、首洗い石鉢

ダウンロードした観光用マップには載ってないけど、ちゃんと調べてました。

↓首洗い石鉢_説明
首洗い石鉢_説明
・・・ですって。
山形空港西よりに、谷地城跡ってありますね。白鳥長久の墓も。

最上義光が病と偽って白鳥を山形城へ呼び寄せ、謀殺ゲッソリ。間を置かず、谷地城を攻めナイフ滅亡させたという。

白鳥長久が織田信長に名馬馬を献上し、出羽守の地位を狙ったのが、義光に謀殺を決意させた原因だと云われている。
義光、ヒドいビックリマーク

↓山形城虚碑
山形城虚碑
これはマップにも載っている山形城虚碑だと思うのだが、注目する人が少なすぎてググっても出てこず。本当にこれなのかわからなかった。

↓本丸枡形部
本丸枡形部
山形市郷土館を北上すると、すぐに見える本丸の玄関である一文字門

2003年までに石垣が修復され、2005年に大手橋が復元された。

本丸枡形部2
二ノ丸は全て内枡形だが、本丸は外枡形の形状をしている。

写真右端の石垣が一文字櫓の石垣で、その右奥が本丸。正面は高麗門

↓本丸南堀
本丸南堀
ご覧のとおり、本丸を囲む堀も一部再現されている。
戦時中、陸軍によって埋め立てられていたという。

↓大手橋
一文字門橋
大手橋の橋脚は、礎石の痕跡に基づいて史実に忠実な位置で立てられている。

↓山形藩歴代藩主
山形藩歴代藩主
最上のイメージだけが強いが、1622年にはもう他の大名に代わっている。
やっぱり譜代かよ~。

本丸南堀2
橋は後で渡ることにして、堀沿いに西の方へ進んでいく。

↓残念石?
残念石?
石垣の復元は、主に堀底から検出された石を用いている。
これらは余った石なのだろうかはてなマーク



つづく。。。