主郭と西隣の曲輪を見終え、堀底の道へ戻り、北へ進む。
↓北へと続く堀切道

写真右手の高まりは、先ほどいた西郭。
↓隠し井戸

ん
これが「隠し井戸」
とやらなのか。


↓隠し井戸_拡大

今なお、コンコンと水が涌き出ている
ようだ。

↓水の手郭

水の手郭は、全体に地面がぬかるんでいる。
もっとも、倒木が多くて中に入れないが
。

↓土橋のような

なのでこの先へは、造成されたであろう道を通る事となる。ここをコの字に折れ曲がり、今度は南へ。
↓南へ伸びる道

竹藪の間
をずんずんと進んでいく。

↓スズメバチだとぅ?

ふと足元を見ると、
ナニィィィィ
スズメバチ🐝の巣だってぇ
思わず二度見。


でも、幸い見かけなかった。ホッ😌
↓切通し

ずんずんと光の射す方へ。
この辺も両サイドが高くなっており、上には郭があるようだ。
↓西出丸

竹藪を抜けると右に道が折れ、少し進むと開けた農場?みたいな所に出た。恐らくここが西出丸だろう。
↓崖状の地形

農場から少し引き返す。
岩盤を削ったような場所を見つけた。
↓ここも郭の一つか

竹藪ストリートから、左の高まりへよじ登ってみた。
平坦になっており、ここも郭の一つだったのだろう。
↓搦手口

水の手郭まで戻り、さらに北へ進むともう一つの登城口があった。
北谷川に架かる石橋を渡って、振り返っての一枚
。

こちらがどうやら搦手口のようである。
↓北谷川

城跡のまわりを囲むように北谷川が流れている。縄張するにもってこいの地形だ。
↓田原城址_遠景

北から見た遠景。本丸にあった「史跡 田原城址」の大看板が小さく見えている。
今考えると、この時、近くにあるであろう矢の石を探せばよかった。
↓田原城址_遠景2

さらばだ、田原城址。。のどかな農道を北へ登っていく
。

↓千光寺跡移築広場

田原城址より徒歩5分。千光寺跡(寺口遺跡)に着いた。
正確には、発掘現場近くのこの場所に移築して保存・展示されている。
↓千光寺跡

まるでビニルハウスのような形の、ガラス貼りの屋根がついた面白い展示方法。
雨露
はしのげますね。

↓千光寺跡_説明

平成6年に田原城主の五輪塔があった近辺を調査したところ、伝説の田原城主一族の菩提寺の存在が実証されたという。
↓四条畷市いろはかるた

↓柱穴

↓総供養塔基壇(6号墓)

本来はこの上に大きな供養塔があったようで、穴の下には遺骨を入れた大甕(おおがめ)
を埋めていた。

↓田原城主夫婦の墓(3号墓)

2基の埋葬施設(窪み)が寄り添うように発見され、その上に供養塔があったとみられる。
墓の廻りは、石を置き区画している=特別大切に扱われた存在の人=田原城主夫婦の墓
と考えてよいかと。

↓土塀礎石


↓土塀断面

土塀の断面を剥ぎ取ったものを展示。肉眼だと見えるが、写真だと反射して見えづらい。
↓キリシタン墓碑出土地_説明
