田原城!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

ついに1年遅れとなってしまった城跡紹介ガーン。。

でも・・・
安心してください、3月まで飛んでますよ爆笑ビックリマーク

いやいや、冬場は山城訪問に適していると知りながら、寒さに負けて雪どこにも出掛けられない現実。
フォロワーの方々のパワーを見倣いたいものですねビックリマーク

いうわけで虫ハチが出る前に、と慌てて動き出すのが毎年3月。
しかも標高も無く、しっかり整備された山城モドキ。

今回は河内・田原(たわら)城をご紹介。。

↓田原城跡_遠景(南)
田原城跡_遠景(南)
生駒駅から出てるバスで、池谷いうバス停で降り、天野川沿いに北上する。

目指す田原城跡がもう見えてきた。

↓田原城跡への道
田原城跡への道
標高わずか178.6m。ここからだと30m位なので、もはや丘城やん。

初心者🔰にもハードルは決して高くない。

↓田原城跡_大手入口
田原城跡_大手入口
バス停から5分も歩けば、入口にたどり着く。

↓田原城址_説明
田原城址_説明
築城年はよくわかっていないが、永禄年間(1558―1570年)に田原対馬守が築城か。
三好長慶に属し、飯盛山城の支城として機能したようだ。

また、ここより北に、元の居館があったともいわれている(未訪問)。

↓田原城跡_縄張
田原城跡_縄張
現在地は右下の二の門。北側にも登城口があるが、どうやらこちらが大手口のようだ。

↓東郭
東郭
登り始めてすぐに堀切道があるが、まずはスルーして道なりに。
すぐにひらけた削平地にでる。東郭である。

3月なので、梅の花コスモスが咲き始めている。

↓梅の花
梅の花
訪問は2023年3月。

↓東郭からの景色
東郭からの景色
高低差はこんな感じ。

↓田原城址_本丸
田原城址_本丸
東郭より一段高い削平地へ登る。すなわち主郭である。城址碑があり、奥の建屋は住吉神社神社(の名残り)。

↓案内看板
案内看板
「そそり立つ」っていうほどでも無かろう。
四条畷市が立てている、郷土史かるたの看板。

↓城址碑_裏面
城址碑_裏面

↓本丸_南土塁
本丸_南土塁
住吉神社は本丸の南にある。その右手の土塁

↓周辺空撮
周辺空撮
本丸には、いくつかの説明が貼り出されている。せっかくだし見ていこう。

ここは奈良県かと思いきや、ギリで大阪府四条畷市に含まれる。

「千光寺」いうのは田原氏の菩提寺で、「古城」いうのが居館跡(北田原城)か。

↓田原城跡_空撮
田原城跡_空撮
左側の、家が建ち並ぶ付近から登ってきた。

天野川北谷川が、写真下で合流している。
細い川ではあるが、一応堀代わりとなる。

↓田原城跡_縄張図詳細
田原城跡_縄張図詳細
現在地は②。
堀切とか土塁とかの記載があるので、こっちの方が分かり易いか。

↓田原城構造_説明
田原城構造_説明
お読み下さい。。

↓田原城址_大看板
田原城址_大看板
本郭の北側は、眺望が効く。

↓本丸からの眺望
本丸からの眺望
古城方面。

↓矢の石_説明
矢の石_説明
殿様が弓いて座の練習でここから狙った、という矢の石。この写真を参考に探してみよう。

↓矢の石どれ?
矢の石どれ?
はてなマークわからん🤷‍♂️

結構遠いけど、当てるの無理ちゃうかな~。

↓本丸からの眺望2
本丸からの眺望2
ひょっとしてあの辺かはてなマーク
めっちゃ遠いやん。

奥の白い商業施設がある辺りが、千光寺跡

↓本丸より見下ろす西郭
本丸より見下ろす西郭
主郭の西端から見下げる。ここより一段低い所に、曲輪がみえる。

↓堀切道
堀切道
それでは東郭の手前まで戻り、見えていた堀切底の道へ突っ込んでいこう。

テンションアップアップな瞬間爆笑である。
写真では規模が判りづらいが、結構ふかいびっくりな。

↓堀切
堀切
幸い、クモの巣🕸️はまだ無かった。

↓堀切2
堀切2
この右手の高まりの上が西郭か。あがってみよう。

↓西郭
西郭
西郭
右手が主郭。左手が井戸郭。

↓西郭2
西郭2
だいぶ奥まで続いてるな。南北に細長い曲輪。

↓西郭から見上げる本丸切岸
西郭から見上げる本丸切岸
右手を見上げると、高い切岸。こちらから攻め登るのは、まず無理でしょうね。

↓西郭―本丸間の堀切
西郭―本丸間の堀切
そしてその手前は堀切られてるので、より高くなっている。

↓西郭から下の段を見下ろす
西郭から下の段を見下ろす
右手は、ここ西郭よりも低い位置にある。

↓堀切道へ戻ってさらに奥へ
堀切道へ戻ってさらに奥へ
再び堀切に降りて、さらに奥の水の手郭に向かう。



つづく。。。