岡山城!!!~その2. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

↓天守が見えた
天守が見えた
下の段から見る本段の石垣の続き。
本段は中の段よりも高い位置にあるため、東側の石垣は特に高くなっている、というわけ。

北の方まで進むと、天守がチラリ。
こちらからの角度だとちょいキツいキョロキョロ

↓岡山城縄張図
岡山城縄張図
六十一雁木は、隠れた位置にあったのか。見落としてもうとる。

本段には本段御殿が、中の段には表書院があった。

↓岡山城かつての建造物
岡山城かつての建造物

↓鉄門を見返す
鉄門を見返す
下の段の奥、並木のある所には多門櫓があった。
下の段手前にある真新しい建物は、供腰掛(ともこしかけ)を再現したもので、登城した者らが待機するための場所だった。

↓不明の門
不明の門
中の段で最初に目にするのは、不明門(あかずのもん)。門櫓の形式。

本段へ入る為の正門だが、身分の高い人しか入れないため、普段は閉ざされてる事が多くドア、この名がついた。

明治維新後取り壊され、昭和44年に再現された。

↓不明の門櫓石垣
不明の門櫓石垣

今は本段に入らず、中の段を北へ向かおう。

↓宇喜多氏時代の石垣
宇喜多氏時代の石垣
地面を掘り下げる形で展示されている、宇喜多氏時代の石垣。大阪城も、早くこうせいビックリマーク

↓宇喜多氏時代の石垣2
宇喜多氏時代の石垣2
もう一箇所。
こちらは隅部にあたるが、直角では無く、鋭角に積まれている。

メンバーの誰かお父さんが言った、「タイタニックの先っちょみたいやね(笑)」船
そうそう、少しは興味持ってくれたかなはてなマーク

↓月見櫓
月見櫓
本丸に現存する唯一の建造物。重要文化財キラキラ月見櫓月見は、1620年代に池田忠雄によって建てられた。

城内側からは3層に見えるが、外からは2層に見える。実際は2階建てで、一部地下がある(右下の白い扉から入る)。

↓月見櫓史跡標柱
月見櫓史跡標柱
旧字で国宝と刻まれるが、戦前の話で、その頃建てられた碑である。

後ろには土塀を支える控柱(ひかえばしら)

↓月見櫓_説明
月見櫓_説明
外側には石落しを設けるなど戦闘的だが、内側には縁側を設けるなど、日常的で宴席日本酒を催すのに格好の造りとなっている。

↓穴蔵
穴蔵
一人お父さんが、何じゃこりゃはてなマークと見つけてくれた。
月見櫓の横にある穴蔵

自分も知らず、井戸かと思ったが、調べると貯蔵庫(冷蔵庫的な)であったらしい。
武器庫とする見方もある。

天板はコンクリートブロックに見えるが、でっかい凝灰岩を切り出したものだそうだ。

↓月見櫓脇石狭間
月見櫓脇石狭間
メンバーお父さんがこちらも発見。

土塀に穴を開けただけなのが普通の狭間。
こちらは大阪城でも見られる最新の技術で、大きな石を精緻に加工。
しかもそれを応用し、土塀の基礎石として使っている。

↓撃ち方ヨーイ
撃ち方ヨーイ
 かなり喰いついてくれたびっくりようだ。
よかったよかったニヤリ。。

↓廊下門の表書院側出入口
廊下門の表書院側出入口
廊下門櫓は、北側から中の段に入る門を守る櫓。
藩主が本段御殿→中の段の表書院へ移動するのに、この2階部分を廊下代わりとして近道できた。

こちら側の出入口の扉が、左端。

↓天守西面
天守西面
恰幅のいい北面・南面に比べ、東西面は貧相に見えてしまう叫び(幅が狭い)。

それを補うためなのか、破風が3つも付いている。

↓本段石垣
本段石垣
では、いよいよ本段へ向かおう。
左手を降りると廊下門、右手が本段への道。

↓廊下門
廊下門
廊下門を見下ろす。廊下門と櫓は、昭和41年の再現。
なるほど、向こう岸の中の段までショートカットできるな。よく考えられた構造やな~。

↓天守へ
天守へ
一人用の通路ゆえの細い階段。天守のすぐ足元へ出るようだ。

↓本段
本段

↓岡山城天守
岡山城天守
出た~ビックリマーク岡山城天守ビックリマーク

この時は改修工事を終え、再オープン乙女のトキメキしたばかり(訪問は2022年11月)。
以前見たときより、ずいぶん黒くなった印象だ。

↓宇喜多直家像
宇喜多直家像
早速天守に入る。像というか人形はてなマーク
宇喜多秀家でなく、宇喜多直家の何故はてなマーク

戦災で焼失メラメラした光珍寺所有の木像がモデルか。

裸一貫から身を起こし、西国の有力大名にまでのしあがった。そのやり方は、主に親戚になった敵城主を謀殺するガーンといった手法で、「戦国の梟雄グラサン」と呼ばれる。

金光宗高から石山城(現在の二の丸跡)を奪って居城とした。

↓小早川秀秋の陣羽織(展示用)
小早川秀秋の陣羽織(展示用)
戦国ファンにはお馴染み、小早川秀秋が関ヶ原の戦いで着用してたやつ、「丸に違い鎌」。

関ヶ原の寝返り滝汗による功を認められ、宇喜多氏に代わって岡山城を与えられた。

↓金鯱瓦(展示用)
金鯱瓦(展示用)
実物大。シャチホコを間近で見るチャンスビックリマーク
和田アキ子のモノマネじゃないよビックリマーク

↓天守からの眺望(南)
天守からの眺望(南)
瀬戸内海方面だが、遠くて海面は見えない。

↓眺望(東)
天守からの眺望(東)
旭川の向こうに操山(みさおやま)。

↓眺望(北東)
天守からの眺望(北東)
後楽園
日本三名園のひとつで、池田綱政により造営された、元禄文化を代表する庭園。国の特別名勝に指定されている。

↓眺望(北)
天守からの眺望(北)
遠くは津山方面。

対岸に鮒乗り場とスワンボート🦢みたいなのあるな。後でメンバーに提案してみるか。

↓眺望(北西)
天守からの眺望(北西)
月見橋は、こちらから後楽園へと通じる橋。

左下には廊下門の屋根が見える。

↓眺望(西)
天守からの眺望(西)"
屋根に乗った金シャチ。

備中高松方面。


つづく。。。