↓天守が見えた

下の段から見る本段の石垣の続き。
本段は中の段よりも高い位置にあるため、東側の石垣は特に高くなっている、というわけ。
北の方まで進むと、天守がチラリ。
こちらからの角度だとちょいキツい
。

↓岡山城縄張図

六十一雁木は、隠れた位置にあったのか。見落としてもうとる。
本段には本段御殿が、中の段には表書院があった。
↓岡山城かつての建造物


中の段で最初に目にするのは、不明門(あかずのもん)。門櫓の形式。
本段へ入る為の正門だが、身分の高い人しか入れないため、普段は閉ざされてる事が多く
、この名がついた。

明治維新後取り壊され、昭和44年に再現された。
↓不明の門櫓石垣

今は本段に入らず、中の段を北へ向かおう。
↓宇喜多氏時代の石垣

地面を掘り下げる形で展示されている、宇喜多氏時代の石垣。大阪城も、早くこうせい

↓宇喜多氏時代の石垣2

もう一箇所。
こちらは隅部にあたるが、直角では無く、鋭角に積まれている。
メンバーの誰か
が言った、「タイタニックの先っちょみたいやね(笑)」


そうそう、少しは興味持ってくれたかな

↓月見櫓

本丸に現存する唯一の建造物。重要文化財
。月見櫓
は、1620年代に池田忠雄によって建てられた。


城内側からは3層に見えるが、外からは2層に見える。実際は2階建てで、一部地下がある(右下の白い扉から入る)。
↓月見櫓史跡標柱

旧字で国宝と刻まれるが、戦前の話で、その頃建てられた碑である。
後ろには土塀を支える控柱(ひかえばしら)。
↓月見櫓_説明

外側には石落しを設けるなど戦闘的だが、内側には縁側を設けるなど、日常的で宴席
を催すのに格好の造りとなっている。

↓穴蔵

一人
が、何じゃこりゃ
と見つけてくれた。


月見櫓の横にある穴蔵。
自分も知らず、井戸かと思ったが、調べると貯蔵庫(冷蔵庫的な)であったらしい。
武器庫とする見方もある。
天板はコンクリートブロックに見えるが、でっかい凝灰岩を切り出したものだそうだ。
↓月見櫓脇石狭間

メンバー
がこちらも発見。

土塀に穴を開けただけなのが普通の狭間。
こちらは大阪城でも見られる最新の技術で、大きな石を精緻に加工。
しかもそれを応用し、土塀の基礎石として使っている。
↓撃ち方ヨーイ

かなり喰いついてくれた
ようだ。

よかったよかった
。。

↓廊下門の表書院側出入口

廊下門櫓は、北側から中の段に入る門を守る櫓。
藩主が本段御殿→中の段の表書院へ移動するのに、この2階部分を廊下代わりとして近道できた。
こちら側の出入口の扉が、左端。
↓天守西面

恰幅のいい北面・南面に比べ、東西面は貧相に見えてしまう
(幅が狭い)。

それを補うためなのか、破風が3つも付いている。
↓本段石垣

では、いよいよ本段へ向かおう。
左手を降りると廊下門、右手が本段への道。
↓廊下門

廊下門を見下ろす。廊下門と櫓は、昭和41年の再現。
なるほど、向こう岸の中の段までショートカットできるな。よく考えられた構造やな~。
↓天守へ
