諏訪高島城!!!~その2. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

高島城城内へ。

↓高島城_説明
高島城_説明
元は諏訪湖スライムに突き出た水城で、日本三大湖城に数えられる。

↓隅櫓_城内より
隅櫓_城内より
この辺りの紅葉もみじが見事である。

↓天守へ
天守へ
では天守へ入ってみよう。

↓南野陽子
南野陽子
掲示されていたポスター。
そうそう、諏訪姫といえばこちら、スケバン刑事のナンノ・・・

って古っビックリマークビックリマーク昭和だよビックリマーク

1988年放送の大河ドラマ「武田信玄」
諏訪御料人こと湖衣姫役を演じたのが、当時アイドルドレスだった南野陽子さん。

↓高島城_年表
高島城_年表

~高島城年表~
  • 1542年(天文11)諏訪頼重、武田信玄に攻められ自害ナイフその後武田家臣・板垣信方が上原城に入り諏訪郡代となる
  • 1582年(天正10)武田家滅亡メラメラ諏訪領は織田家臣・河尻秀隆に与えられる
  • 同年、本能寺の変メラメラ諏訪頼忠、高島城を攻略。徳川に帰順する
  • 1590年(天正18)豊臣家臣・日根野高吉が27000石で入部
  • 1598年(慶長3)高島城が完成キラキラ
  • 1601年(慶長6)諏訪頼水、諏訪を与えられ初代高島藩主となる。その後、維新まで諏訪氏。
  • 1875年(明治8)天守が撤去される。
  • 1970年(昭和45)天守など復興される。
↓天守の眺望_西
天守の眺望_西
最上階に来た。
西方向には、諏訪湖の湖面船が見える。

今でこそ少し距離があるが、往時はすぐ手前まで諏訪湖が接していた。

↓眺望_北西
眺望_北西
カメラカメラを右へずらしていく。
湖畔公園や間欠泉がある方向。

↓眺望_北
眺望_北
上諏訪駅、立石公園のある方向。

↓眺望_東
眺望_東
山が近くに迫る地形。手前には堀が見える。

↓眺望_西南
眺望_西南
左手の山に上原城、桑原城がある。
遠くは甲斐の方向。

武田軍カブトは、こっちから攻めてきたんか~おねがい

↓天守_屋根
天守_屋根
天守屋根は、天明年間以降は柿葺(こけらぶき=薄い木の皮を幾重にも重ねて施工)だったが、現在のは銅板で葺かれている。

何か・・・ちょっと残念な光景。。ショボーン

↓眺望_南
眺望_南
諏訪大社上社神社、諏訪善光寺がある方向。

↓諏訪姫フィギュア
諏訪姫フィギュア
う~ん、じゃあ3種ともいただこうかビックリマークニヒヒ

・・・買わへん買わへん。

↓庭園
庭園
池は、「人」型走る人に設計されているとか。

↓諏訪護国神社
諏訪護国神社
諏訪護国神社神社は明治33年建立。西南戦争ナイフの戦没者を祀ったのが始まりとされる。

黄色の絨毯イチョウが見事である。

↓天守_城内より
天守_城内より
珍しい事だが、城内からの方がなんとなく見映えするような・・・木の配置なのか、それとも単に順光だからかはてなマーク

↓高島城堀と石垣_説明
高島城堀と石垣_説明
今さら読む堀と石垣の解説。
浮城は地盤が緩いんで、造るの大変だったでしょうな。

↓丸高蔵
丸高蔵
城を出て北へ引き返す。
丸高蔵は、大正5年創業の味噌蔵だ。

いい雰囲気やな~。ニヤリ

↓諏訪湖
諏訪湖1
途中で左へ曲がり、諏訪湖へ出た。
曇ってきたのもあるが、もう暗くなってきた。

諏訪湖2

諏訪湖3

諏訪湖4
遊覧船乗り場。

↓片倉館
片倉館1
昭和4年、大衆のための大浴場温泉として建てられた片倉館。西洋式を採り入れた建築物で、重要文化財キラキラ

館内は映画「テルマエ・ロマエⅡ」のロケ地としても使われた。

片倉館2


帰りはJRで村井駅を目指すが、電車が遅延していたため、焦って滝汗村井駅という確信無いままホームに降りてしまい、同じタイミングで降りた女の子お母さん
ぷにゅた:「ここ、村井駅ですよね?」
女の子:「・・・広丘駅(一つ手前の駅)です。」ゲッソリビックリマーク

礼を言うのも忘れ、慌ててドア閉まる前に再び滑り込み。ホッ=3
 お嬢さん、ありがとう。

結局、目指す路線バスバスに間に合わず。
幸いタクシーが待機していたので、松本空港飛行機まで乗せてもらった。

※   ※   ※   ※   ※   ※

一泊二日で、信濃の5つの城、2つの戦場、5つの寺社、9つの墓を目指したが、結果は4城、2戦場、4寺、8墓でした。。。

航空券往復+宿泊で17000円台のプランだったが、行ったり来たりで交通費お金が高くついてしまい、結局40000円位札束かかってしまった。

反省。。ショボーン


おわり。。。