川中島の戦い!!!~その2. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

旧松代駅でレンタサイクル自転車し、真田信之の墓→山本勘助の墓ときて、北上し→諸角さんの墓へ。

↓諸角豊後守之墓

諸角豊後守之墓

35号線から少し西に入った所に、松の木と植込みに守られた一角がある。

諸角豊後守の墓である。


↓諸角豊後守の墓_説明

諸角豊後守の墓_説明
名は昌清、虎定ともいうが、近年では室住虎光と表記される。

81歳の高齢ながら、第四次川中島の戦いに参戦びっくり。武田典厩信繁の後を追うようにして敵陣に斬り込み、討死した。

↓諸角豊後守の墓_拡大
諸角豊後守の墓_拡大
明治26年建てられた記念碑で、実はこの後ろに隠れるようにして古い五輪塔があったらしいのだが、気付かなかった。。あせる

奥行きから考えると有るように見えないが・・・はてなマーク

↓川中島古戦場公園_遠景
川中島古戦場公園_遠景
35号線を1.5km南下。
川中島古戦場公園キタコレ。爆笑

↓八幡社入口
八幡社入口
入口から入ったら、左へ向かおう。

↓川中島古戦場八幡原_説明
川中島古戦場八幡原_説明
第四次川中島の戦いこと、八幡原(はちまんばら)の戦い
上杉謙信が妻女山富士山に布陣したため、両軍の激突は不可避となった。

↓信玄謙信一騎討ちの像1
信玄謙信一騎討ちの像1
ナマ一騎討ち像、カッケー!!

この像は昭和44年、NHK大河ドラマ「天と地とカブト」の放送を記念して建てられた。

信玄謙信一騎討ちの像2

通説では、啄木鳥戦法を採用し(軍を二手に分け)た武田軍の策を見破った謙信が、夜陰に紛れて妻女山を降り、武田本陣に突っ込んだ。

前半は上杉優勢、妻女山に向かった別動隊が救援に駆けつけた後半は武田優勢となった、と云われている。

信玄謙信一騎討ちの像3

上差し両雄の一騎討ちは実際にあったのかはてなマーク


信玄が手傷を負った救急車のは事実であり、謙信が普段から自ら先頭に立ち陣頭指揮をとるタイプなのも事実だ。

答えはNOだ。
あっても不思議ではなかったが、無かったようであるキョロキョロ

実際には、武田本陣も崩れたち、信玄自身も刀を取っての乱戦ナイフとなり、荒川伊豆守いう武将に斬りつけられ負傷した、というのが真相のようである。

↓謙信の像
謙信の像

武田方としては「大将が本陣を捨て、逃げながら無名の武士に傷つけられた」悲しいとあっては外聞が悪い。そこで、
  • 信玄は「斬りつけられたのは影武者じゃキメてる」と言ったり、
  • 家臣の子孫は「本陣でどっしり座ったまま、軍扇で受け止め」「相手は謙信では無かったか」などと書いたり
したものだろう。

↓信玄の像
信玄の像

信玄謙信一騎討ちの像4

上差し「車懸りの陣」ってどんな陣形はてなマーク

大将を囲んで円形に兵を配置うずまき、グルグル廻りながらスター新手を次々にぶつけていく・・・そんなやり方、却って不利でははてなマーク

このイメージは明治時代以降に造られたもので、現実的ではない。

いまなお謎であり、車懸りの陣は陣形ではなく、戦術の名前である可能性が高い。

信玄謙信一騎討ちの像5

それまでの横列隊形ギザギザ中心から、鉄砲銃を前面に置いた縦型隊形ウエディングケーキからの、左右に開いて後続が順次攻撃(その後普遍的になった)。これが車懸りの戦術、という考えがある。

村上義清が初めて上田原の戦いで実践し、謙信に伝授、謙信が規模を広げて実践、これに対抗して武田、北条、豊臣軍も取り入れ広がっていった、という。

ただ、それでは面白くない。

キングダムにおける輪動かたつむり、もしくは斜陣がけ流れ星みたいな戦法であってほしい。
 



↓首塚
首塚
銅像のすぐ脇にある首塚

元々は骨塚(かばねづか)と呼ばれ、高坂弾正が辺り一帯の戦死者の遺体を、敵味方の区別なく集めて手厚く葬った塚の一つ。

八幡原の激戦における両軍の戦死者は、6000人を超えたというびっくり。これは、戦闘参加総人数の4割に相当するガーン、という見立てもある。

↓首塚_説明
首塚_説明
なお、公園の南側にも塚がある。

↓三太刀七太刀之碑
三太刀七太刀之碑
信玄が騎馬武者に三度斬りつけられ、軍配で受け止めた。後で見ると、軍配には七つの傷が付いていた。・・・どういうこっちゃ!?

↓武田信玄本陣土塁遺構
武田信玄本陣土塁遺構
八幡社境内には武田信玄の本陣が置かれた。
土塁が数mに渡って残されている。

↓八幡社本殿
八幡社本殿
平安時代中期、信濃国に流された村上顕清が、武運長久を祈り八幡大神を祀ったのが始まりとされる。
信玄も八幡大神を崇敬した。

顕清は、村上義清の先祖である。

↓川中島古戦場公園の紅葉
川中島古戦場公園の紅葉

↓千曲川
千曲川
松代大橋より。

道の左歩道を通っていたために、典厩寺(てんきゅうじ)へと曲がる道を見落として長野IC近くまで坂を下ってしまうミス泣くうさぎ千曲川の手前で曲がらんといかんかった。

引き返してる時間も無いので、典厩寺と妻女山はあきらめ、松代城へ向かうこととしよう。
(廻り方を逆にして、最初に典厩寺行くのがベストだったかも。。)


おわり。。。