上田原の戦い!!!~その1. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

小諸城跡を1時間ちょっとで見終え、上田駅に着いたのが14時43分。

いの一番に駅前ロータリーに建つ真田幸村騎馬像を見に行くランニングダッシュ

↓真田幸村騎馬像(上田駅前)
真田幸村騎馬像(上田駅前)
おお、これがTVなんかでよく見る幸村像かビックリマーク
実物を見れて感激ビックリマーク

真田幸村カブトとは、真田昌幸の次男として・・・いや、やめておこう。。みんな知ってる。

真田幸村騎馬像2
よく見ると、時計台も凝ったデザインとなっている。

この銅像は上田城築城400年を記念して、昭和58年に寄贈プレゼントされた。幸村の初陣を表現したものだそうだ。

↓真田幸村騎馬像_拡大
真田幸村騎馬像_拡大
初陣といっても諸説あり、確証があるのは小田原征伐における松井田城攻めナイフの時であり、銅像もそれを表現したものだろうか。

真田幸村騎馬像3

ここまで分刻みのスケジュールをこなし、さすがに疲れてきたショボーン。観光案内所でレンタサイクルの場所を聞いたついでに、喫煙所の場所を教わる。早朝以来の一服タバコいや、貯め吸いじゃい!!タバコタバコ

レンタサイクル自転車の場所は・・・何や、幸村像の近くか、効率悪ショボーン
受付カウンターは・・・あれ、無いはてなマーク

よく読むとまずQRコード読み、ダウンロードし、会員登録し、無人で解錠・・・面倒くさっビックリマーク魂が抜ける
上田原古戦場巡りは諦め、上田城登城だけにしよかはてなマークの考えも頭をよぎる。

とにかくやってるうちに何とか解錠まで漕ぎ着けた。時刻はすでに15時半、予定より大幅に遅れてるが、行ける所まで行こうかと、君がつぶやく(猿岩石はてなマーク)。

↓芳泉寺
芳泉寺
まずは道中にある芳泉寺
真田信之の妻・小松姫お母さんの墓がある。

↓仙石家霊廟_説明
仙石家霊廟_説明
いや、仙石家の菩提寺に、小松姫の墓もある、といった方が正しいか。

真田信之が松代へ転出後、小諸から仙石忠政が来て、上田を治めた。

↓小松姫の墓_説明
小松姫の墓_説明

↓芳泉寺山門と本堂
芳泉寺山門と本堂
立派な山門。山門には、真田家の六文銭と徳川家の三つ葉葵の紋の両方があしらわれている・・・写ってないけど。

本堂入口には、さらに仙石家の永楽通宝銭の紋も描かれている・・・見えないけど。

↓小松姫の墓標柱
小松姫の墓標柱

↓小松姫の墓
小松姫の墓
丁重に手を合わせお願いたのち、逆光なので角度を変えて。

3mほどもある宝篋印塔。女性のものとしては非常に立派で、大事にされた人物だと知れる。

↓小松姫のエピソード
小松姫のエピソード
姫のエピソード3 シスの復讐は、お読みください。

↓仙石政俊霊廟
仙石氏霊廟
仙石氏霊廟の一つだと思うが、よくわからなかった。秀久を撮ったつもりだったが・・・

↓歴史の散歩道
歴史の散歩道
芳泉寺のすぐ目の前に、歴史の散歩道の終着点が。
こちらからチラ見程度では、風情が感じられなかった。

↓千曲川
千曲川
小諸城から見えたのより下流の千曲川

武田軍と村上軍はこの川を挟んで対峙した。

古船橋を南へ渡ると、上田原合戦の痕跡がいくつか残る。

↓板垣信方の墓_説明
板垣信方の墓_説明
少し遠回りしてしまったようだが、大したロスにならず。

武田晴信は信濃に攻め入り連戦連勝、ついに北信濃の有力大名・村上義清との激突は避けられなくなった。

1548年(天文17)武田軍が小県郡へ攻め込むと、村上軍も葛尾城を出て、両軍は上田原であいまみえたナイフ

↓板垣神社入口
板垣神社入口
裏手の農道から畑道を分け入ってしまったが、本来はこちらが入口である。

↓板垣神社参道
板垣神社参道
緒戦は武田軍先陣の板垣隊が勝利を納めたが、村上軍は隙をついて逆襲。武田軍は混乱し、多数の戦死者を出して武田晴信は一敗地にまみれた。

↓板垣信方の墓
板垣信方の墓
名のある武将では、武田方の板垣信方甘利虎泰らが討死にしてしまった。

↓板垣信方の墓_拡大
板垣信方の墓_拡大
板垣信方は愛煙家であったそうで、タバコタバコを供える人が今も後をたたない。

↓板垣信方の墓_説明
板垣信方の墓_説明
武田家の家老クラスであり、晴信の傅役でもあった信方は、武田信虎の追放バイバイにも大きく関わった。
また、若い晴信が詩歌に耽ってた口笛時は、若君を諌めたムキーという逸話もよく聞く。


つづく。。。