松本城!!!~その2. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

記事は2022年11月に行った信州旅行でつ。
(全然追いつかねービックリマーク
*したがって紅葉の画像もみじが出てきます。

↓月見櫓内
月見櫓内
月見櫓内は、天守とうってかわり、まるで戦闘意欲が感じられない看板持ち造りとなっている。

↓額縁のような紅葉
額縁のような紅葉
殿様の特等席じゃいビックリマーク爆笑
映えビックリマークキラキラ

↓天守真下より
天守真下より
天守から出てきた。

黒いので見えにくいが、たくさんの狭間が切られている。

3棟あわせて、なんと115もあるねんてビックリマーク

↓乾小天守
乾小天守
乾小天守渡櫓は、天守と同じく1593~4年に造られたとされている。

↓月見櫓
月見櫓
辰巳附櫓(月見櫓の後ろに見えてるやつ)と月見櫓は、時代が下って江戸時代の1634年頃に建てられたとされる。

↓国宝天守群
国宝天守群
壁の下部は黒漆塗(くろうるしぬり)の下見板(したいたみ)張り、上部は白漆喰(しろしっくい)仕上げ。パンダ

下板見張りは、屋根で防ぎ切れない雨水雨から壁を守る役割がある。

↓天守最上階_拡大
天守最上階_拡大
外見は層塔型のようだが、構造は望楼型(ぼうろうがた)
ただし、廻縁(まわりえん)高欄(こうらん)は持たない。

↓改めて本丸内より
改めて本丸内より
観光客が増えてきた。早めに入城しといて正解だ。

破風は千鳥破風富士山が一つだけと、こちら側から見るとヒジョーにシンプルだ。

↓黒門_城内より
黒門_城内より
喫煙所があるけど、ライターも時間も無いので我慢😣

堀外からのショットを見に行こう。

↓松本城案内図
松本城案内図
今さらの案内図、サンキューグッド!
南が上に描かれた地図。

↓黒門二ノ門
黒門二ノ門
入る時人が多くて撮れなかった黒門・二ノ門(高麗門)
枡形と二ノ門、控塀は平成元年に復元された。

↓南東より
南東より
土橋の上より。こっちも人が多いなー。団体さんか。

↓北西より
北西より
北西までぐるっと回りこんだ。
こっちからだと、この時間は逆光黒猫あたまになっちゃうなー。

↓北西の蓮池
北西の蓮池

↓埋橋より
埋橋より
撮影スポットではあるが渡れない橋、埋橋

昭和30年、観光用に架けられた。老朽化が進み、2011年以降通行止めとなっている。

↓天守台・小天守台
天守台・小天守台
土台の石垣は、修復はされているが積み直しはされていない。つまり戦国時代のままだ。

地盤が緩いため、様々な工夫がなされている。

↓南西より1
南西より1
やっぱりこの角度がええな。

↓南西より2
南西より2

~松本城年表~
  • 1504年(永正1)島立貞永が深志城を築く
  • 1550年(天文19)武田晴信が深志城を占拠
  • 1582年(天正10)織田に攻められ、武田氏退去。機をみて小笠原貞慶が入城、松本城と改名する
  • 1590年(天正19)秀吉猿の命で石川数正が8万石で入封、本格的な築城を開始。
  • 1595年(文禄4)この頃、天守完成か
  • 1613年(慶長18)石川康長改易。小笠原秀政が再入封する
  • 1617年(元和3)戸田康長が7万石で入封

その後、松平氏
(この頃月見櫓・辰巳附櫓など建つ)

堀田氏

水野氏
  • 1725年(享保10)水野忠恒、江戸城内で刃傷事件ナイフを起こし改易
  • 1726年、戸田光慈が6万石で入封。以降明治維新まで戸田氏
  • 1936年(昭和11)天守他4棟が国宝に指定

↓南西より3
南西より3
これくらいの角度がベストか。

いつ見ても、かっけ~ぜ松本城ビックリマークビックリマーク

と、常連ぶりましたが初めて来ました。

↓松本城_南より
松本城_南より
堀側は千鳥破風と唐破風の2つ、付いている。
左から天守、辰巳附櫓、月見櫓。

↓黒門枡形
黒門枡形
カメラカメラを右手に回すと、本丸への入口。黒門は外枡形だという事がよくわかる。

↓本丸石垣
本丸石垣
カメラを少し左に戻す。本丸石垣に折れが付いている。

↓松本城と紅葉
松本城と紅葉
堀の外周で少し後ろに下がると、このように木々を入れ込んでも撮影できるウインク

↓南東より
南東より
後方に中央アルプス富士山とのコラボが狙える角度だが、この通り雲がかかり見えない。

↓南東より2
南東より2
それでも、この角度もなかなか絵になりますな~ビックリマークおねがい


つづく。。。