田辺城!!!~1/2 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

宮津を後にして、西舞鶴へ。

↓KTR801
KTR801
KTR801。
2022年冬から、これとは違う新デザインの車両が運行しているみたいだが(訪問は2022年9月)。

この時間に来るのは、あおまつ号って聞いてたのに、何故かこいつが来た。。

↓由良川
由良川
電車内でこれから行く田辺城についておさらいしているうちに、由良川橋梁を過ぎてしまい、絶景キラキラを見逃すミス。
悔しまぎれの一枚。

↓太鼓堂
太鼓堂
西舞鶴駅で下車。
駅前に目立つ太鼓堂型の時計塔。

こういう雰囲気作りも、観光地にはとても大切ニヤリ

↓明倫館移築校門
明倫館移築校門
駅から徒歩7分。
田辺城を一旦スルーして道を左に曲がる。

明倫館移築校門を先にご紹介。

明倫館移築校門2
左側に潜り戸、薬医門形式。

↓明倫館_説明
明倫館_説明
田辺藩の藩校であり、多くの学者を輩出した「明倫館」の門(江戸時代後期)を移築したもの。現在は舞鶴最初の小学校、明倫小学校の門として用いられている。

↓明倫小学校の白壁
明倫小学校の白壁
こんな小学校に通いたかった。いいなぁ~。

↓田辺城_城門
田辺城_城門
さて、田辺城に注目。
舞鶴公園は田辺城址の本丸と二の丸、藩主庭園跡から成る。

アルツハイマーの幟が邪魔ショボーンである。

↓城門
城門
1992(平成4)年に田辺府史の図を元に復元。
二階は田辺城資料館となっている。

規模がデカ過ぎるとして疑問も呈せれている。確かに立派な櫓門だな~おねがい

↓模擬二層櫓
模擬二層櫓
城門の左手に少し回ると、すぐ二層櫓が。

こちらは彰古館(しょうこかん)という名で、1940(昭和15)年に実業家の有本国造により、西北西の石垣の上に隅櫓として復元された。

なんと、戦前の復元じゃないかビックリマーク

↓二層櫓台石垣
二層櫓台石垣
石垣は、半分以上は積み直しされているように思える。

↓大手門東土塀(模擬)
大手門東土塀(模擬)
門より右側の石垣と土塀。上下に狭間が穿たれている。

↓東土塀と石垣を南より
東土塀と石垣を南より
ショックな事に、彰古館と櫓門を一枚に収めた画像が壊れていたガーン
このとき、SDカードの容量がフル満になったのが原因。

天橋立の写真を撮りすぎたか。

↓ゆうさいくんパネル
ゆうさいくんパネル
なんだか、ツンツンしてますね。。

↓大手門_城内より
大手門_城内より

↓田辺城城郭復元図
田辺城城郭復元図
いわゆる輪郭式ってやつ。
左が北か?ということは本丸東側に門は無かった事になる。

↓史跡 田辺城趾_説明
史跡 田辺城趾_説明
細川幽斎・忠興父子おじいちゃんお父さんが天正10年頃築城。
関ヶ原の戦いにおいては、西軍15000に囲まれた。

↓舞鶴公園案内図
舞鶴公園案内図

↓幟
幟
左から五三桐、九曜紋、二つ引両。
いずれも細川家が使った家紋で、桐は室町幕府から、九曜紋は信長から賜ったもの。

↓彰古館_城内より
彰古館_城内より
先ほど外から見た彰古館。

個人的感想だが、なぜか中から見た方が立派に見えた。
城内側から見るとショボく見えるのが常なのに、不思議。

↓田辺城資料館_入口
田辺城資料館_入口
城門の二階にある資料館へは、この階段から。

↓細川幽斎肖像画
細川幽斎肖像画
天授庵所蔵の細川幽斎肖像より転用されたものがお出迎え。

↓細川幽斎_座像
細川幽斎_座像
やはり、入道姿のイメージがすりこまれる。が、頭を丸めたのは信長死後のはずだ。

↓田辺城古絵図
田辺城古絵図
北を上にしたった。
はてなマーク入口でも見たからもうええやろってはてなマーク

↓明倫小学校_資料館より
明倫小学校_資料館より
白壁の角からやや左に、さっき見た明倫館移築門があった。
小学校は二ノ丸跡に立つが、明倫館自体は三ノ丸にあったようだ。

↓彰古館_資料館より
彰古館_資料館より
よく見ると屋根もカッチョいい。
鯱もだが、降り棟(くだりむね)鬼飾り、隅棟(すみむね)鬼飾りなどが躍動感を感じさせる。

↓北側土塀と石垣_彰古館より
北側土塀と石垣_彰古館より
彰古館にも入れるようだ。入ってみよう。

↓人物相関図
人物相関図
なんだか新ドラ紹介みたい。。

↓田辺城資料館_彰古館より
田辺城資料館_彰古館より

↓彰古館の階段
彰古館の階段
二階へ行ってみよう。



つづく。。。