田辺城!!!~2/2 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

二層櫓(彰古館)の二階に上がってきた。

↓彰古館二階
彰古館二階
門櫓からも景色船は見たが、ここでも外を見てみよう。

↓続櫓の屋根_彰古館より
続櫓の屋根_彰古館より

↓愛宕山_彰古館より
愛宕山_彰古館より
愛宕山の存在が目についた。

標高は213m。古くから信仰の対象とされてきた。

↓北の山地_彰古館より
北の山地_彰古館より
舞鶴市は、海と山とに囲まれている。

田辺城は、別名を舞鶴(ぶかく)城と云う。
紀伊田辺藩と区別するため、「舞鶴」という地名が定着した。

そーいや、唐津城も舞鶴城ゆうとったな。。

↓本丸井戸跡
本丸井戸跡
では彰古館を出て、城内を見てまわろう。

まず目についたのが本丸井戸跡(再現)。
ここだけ後ろの石垣が半円状に窪んでいたので発掘調査したところ、井戸の痕跡を見つけたらしい。

井戸は京極氏の時代には使われなくなり、埋められていたそう。

↓本丸石垣と雁木
本丸石垣と雁木
どこまでがいつ積まれたものか、判別がつかない。京極氏が再興して以来、牧野氏時代にも随時修復工事が行われた、という。

公園整備の際にも、一部積み直ししているかも。

↓本丸石垣
本丸石垣

↓心種園の池
庭園の池
よく見るやつ、アオサギが。

↓二ノ丸石垣
二ノ丸石垣
実に様々な形の石を、ダイナミックに積み上げた野面積み

↓二ノ丸石垣
二ノ丸石垣

~田辺城年表~
  • 室町時代、丹後守護の一色氏が、加佐郡八田の守護館において政務をとる。
  • 1578(天正6)年、織田信長の命により細川藤孝が一色氏を滅ぼし丹後を制圧。
  • 1580年、田辺城が完成。細川氏、宮津城から移り本拠とす。
  • 1582年、本能寺の変メラメラ。藤孝は隠居し、子の忠興が城主に。
  • 1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いナイフ。徳川家康不在の隙に西軍が旗揚げ、田辺城にも15000人が押し寄せる(田辺城の戦い)。50日に及ぶ攻防の末に和睦、開城。
  • 戦後、細川忠興は豊前小倉に加増転封され、京極高知が城主に。宮津城を再築し、田辺城は破却される。
  • 1622(元和8)年、高知が子らに領地を分与、高三に田辺藩が与えられる。京極高三により田辺城が再興。
  • 1668(寛文8)年、牧野氏が城主に。以降、明治維新まで牧野氏。
↓池の中の石碑
池の中の石碑
庭園の池の中にポツンと建つ石碑は、正体が調べてもわからなかった。撮った時は解ってたと思うのだが・・・

↓細川幽斎公古今伝授遺跡
細川幽斎公古今伝授遺跡
古今伝授遺跡とは、細川幽斎が古今和歌集の秘事口伝の伝承者だったため、この先の塚の上の老松やしの木の木の下で勅使に対し伝承した、という故事にちなんだもの。

↓古今伝授遺跡の碑
古今伝授遺跡の碑
この碑は明治時代に建てられた。二代目か三代目か知らんが、松、撮れてないやないかいビックリマーク

後陽成天皇に開城するよう諭されたものの、死の覚悟凝視があった幽斎は、古今伝授の書を勅使に渡し、松の下で口伝し、「古へも 今もかはらぬ世の中に 心の種を 残す言の葉」という句を託した。

後陽成天皇は驚きびっくり、今度は西軍に対して包囲を解くよう勅使、無事和睦が成立OKした。

↓池と石垣と愛宕山
池と石垣と愛宕山
なお、心種園という名は、後の城主・牧野氏が故事を懐かしんで、下の句より命名した。

↓天守台付近は高台になっている
天守台付近は高台になっている
細川氏の時代には、天守台は濠に囲まれていたという。

↓天守台
天守台
こちらが天守台石垣。細川氏時代に積まれたといわれ、東面のみが現存している。

↓天守台2
天守台2

↓土塀と控え柱
土塀と控え柱
天守台の上に上がる事ができる。

↓本丸広場
本丸広場

↓城郭風遊具
城郭風遊具
そして、これが田辺城天守。
そうそう、石垣をくりぬいた珍しいトンネル虎口、滑り台から出て敵の横腹を突く・・グラサン

こらビックリマークこのボケの為だけに、壊れかけの画像まで使うな!!

本丸広場東にあった遊具である。

↓本丸石垣北面と彰古館
本丸石垣北面と彰古館
公園北の出口から出てきた。北面の石垣はビシッと揃っている。

↓舞鶴市マンホール
舞鶴市マンホール
田辺城資料館に入場すると、このマンホールのデザインの札ルーレットが貰えた。

↓外堀跡
外堀跡
駅前まで戻ってきた。途中にあった外堀の名残も、見逃さんビックリマーク

↓真名井の清水
真名井の清水
電車で帰るよりバスバスの方が早そうだ。とはいえ、まだ1時間くらいある。近くにあった真名井の清水なるものの再現。

なんでも幽斎は田辺城まで水路で繋ぎ、茶を楽しんだ白ワインとか。

↓あおまつ号
あおまつ号
乗れなかったあおまつ号が、西舞鶴駅に停まっていた。

↓くろまつ号
くろまつ号
くろまつ号もおった。
はてなマークあれは・・・はてなマーク

↓あかまつ号
あかまつ号
何と、整備工場みたいな所にこいつらが。何や、西舞鶴まで来りゃ皆見れるやん口笛

ただし、社員らしき方々がおられ、「駐車場まで下がって下さい」と注意受けました。



おわり。。。