丸岡からバス
で福井駅へ。1時間近くかかったっけ。

福井駅で残り1台のレンタサイクル
を確保。すぐさま、近くの北ノ庄(きたのしょう)城址へ。

(ここはチャリ使うほどでもないのだが)
↓北ノ庄城跡

城跡っていうけど、城址公園というか、広場。駅近物件なのでありがたし。
ここに本丸があったらしい。
↓越前北ノ庄城址プレート

↓柴田勝家一家_人物解説

北ノ庄城といえば、言わずもがなの瓶割りかかれ鬼柴田・修理進権六勝家。
お市の方は、26歳年下で親子ほど離れていた。
お市の連れ子は、有名な浅井三姉妹(ここでは柴田三姉妹の方がいいかも?)。
↓北ノ庄城_想像復元図

北ノ庄城の具体的な姿・縄張は、つまびらかでは無い。秀吉は書状の中で、「天守を九重にあげ候…」と書いている。
・・・ちょっと待てぃ、、
なぬ
九重とな




九階建てなんて、この時代に本当に可能なんか

秀吉
、よう嘘書くからなぁ~。

↓北ノ庄城址公園マップ

公園には、現在では柴田神社
が鎮座する。

ここは北ノ庄城本丸跡ではあるが、福井城三の丸跡でもある。したがって遺構も混在した状況だ。
↓イメージ再生された 九十九橋

九十九橋というのは足羽川に架かっていた橋で、柴田勝家が半石半木で架け替えた。以来、明治時代まで珍しいので有名だった。
このイメージ再生された橋の欄干部分には、明治42年以前に使われていた石材を用いている。
↓北ノ庄城_堀跡展示
↓福井城_堀跡展示

↓北ノ庄城_堀跡展示2








福井城下層から検出された北ノ庄城堀跡。
東西方向の幅が25m以上
とあるから、滅茶苦茶広かったようだ。

露出展示されている石列は堀南面の石垣、とのこと。

こっちは福井城堀跡。見えているのは、四段くらい積まれた状態だ。
↓福井城_日向門礎石

日向門とは、福井城三の丸の南側の曲輪の南東隅に位置した門。
あまり主要な門ではなかったようだが、礎石が発掘されている。

このように遺構は柴田神社拝殿の直下にまで及んでいる。
↓北ノ庄城址碑

「ここに柴田勝家公が建設した北の庄…」あとは読めない
。

↓お市の方・殉難将士_慰霊碑

北ノ庄城は、柴田勝家夫妻
はじめ、逃亡しなかった一族郎党が、最期を迎えた地だ。


賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで羽柴秀吉軍に敗れたのち、ほどなくして居城を攻められた。
↓柴田神社_鳥居

石製の鳥居。
柴田神社は、1890(明治23)年に松平春嶽らによって創建された。
主祭神は柴田勝家で、妻の市を配祀する。
↓史跡 柴田神社

家族や夫婦、兄弟の「絆」にご利益があるとされる。最近では「美モテ祈願」を売りとしているパワースポット
である。

・・・おっと、その美モテ祈願
の女性が写らないよう、画角を調整。。

↓柴田勝家像

そしてお待んたせしました、、オニ
の登場です


↓柴田勝家像2

市を娶ったとき、勝家推定60歳。それまで結婚の記録は残されておらず、どうやら初婚
だったらしい。

清洲会議の結果、秀吉の所領の半分と差をつけられてしまったが、近江の長浜城と絶世の美女
を得る
ことで、しぶしぶ納得させられた形だ。。


↓柴田勝家像3

つづく。。。