丸岡城!!!~2/2 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

本丸下の段をぐるりし、天守正面まで戻りッチサッカー

↓一筆啓上の碑
一筆啓上の碑
光の加減で、角度つけないと読みづらい。
「一筆啓上 火の用心メラメラ お仙泣かすな大泣き 馬肥せ馬」by本多重次。

彼が戦場から妻にあてて送った手紙の文面は、日本一短い手紙メモという。

墨汁があまり無かったのかもしれんね。。しらんけど

↓天守台隅石
天守台隅石
荒々しいけど、ちゃんと算木積みになってますね。

↓天守台
天守台
今度は天守台の狭い外周を、ぐるりしておく。
これはちょうど裏面だったと思うが、覚えていない。

↓天守台2
天守台2

↓出格子窓
出格子窓
石落しも兼ねる出格子窓。狭間の穴も随所に見られる。

↓転用石
墓の土台か、礎石か何かか。

↓天守を見上げる
天守を見上げる
もう石垣はいいでしょ、早よ天守の中に入ったらはてなマーク

↓旧石製鯱(しゃち)
旧石製鯱
昭和17年~23年、天守上にあった石製の鯱(戦時中は銅の入手が困難だった)。福井大地震で落ちてしまい、ここに展示されている。

現在屋根に乗っかっているものは、元あったように木彫銅板張りで復元されている。

こんな重いものが、もし落ちてきたら危ないったらありゃしないガーン

↓天守入口
天守入口
あれが木彫銅板張りの鯱か、よく見えないなー。。

↓天守閣記念碑
天守閣記念碑
天守入る、思たら入らんのかいビックリマーク

もういい加減、中に入れやムキービックリマーク

昭和十八年って読めるから、修復した時に建てたものか。

↓天守内部
天守内部
やっと入りました。入場料は450円コインたちだっけか。
天守内はこんな感じ。展示物などはいい意味であまり多くなく。

↓出格子窓より外を見る
出格子窓より外を見る

↓石瓦の屋根
石瓦の屋根
これこれ。丸岡城固有の石瓦。
笏谷石(しゃくだにいし)という福井産の緑色凝灰岩宝石緑が使われている。理由としては、風雪雪や寒さに強いとされている。

天守にかかる重さは、何と100t以上びっくり!よく支えてられるなぁー。

↓懸魚を内側から
懸魚を内側から
三花(みのはな)懸魚、または猪の目(いのめ)懸魚。

「げぎょ」と読むのだそうだ。今調べるまで、ずっと「かけぎょ」って読んでた。。恥ずっってへぺろ

このように建物内から至近距離で見た記憶は無い。破風正面に大窓付いてるって、珍しいのでははてなマーク

↓急階段1F→2F
急階段1F→2F
丸岡城のもうひとつの特徴。もはやハシゴ同然の急勾配。

↓急階段2F→3F
階段2F→3F
3階へ向かう階段も、さらにエグい角度驚き

最低限の明かりはとってるが(右側の穴)、後ろに幅がほとんど無い。太った人は無理なんじゃなかろーか。

↓3階の梁
3階の梁
梁も、年季が入ってますな~ビックリマーク

なお、一階から二階を貫く「通し柱」は無いとの事。よく支えられてるなぁーホントに。地震がまた起きたら、心配ではあるちょっと不満

↓天守からの眺望_南西
天守からの眺望_南西
南、西に向けて城下の町並み。

↓眺望_北西
眺望_北西
あわら市の方向。

↓眺望_東
眺望_東
東は、山富士山が迫っている地形。

↓眺望_南東
眺望_南東
丸岡城主 有馬氏菩提寺・高岳寺のある方角。

↓眺望_南
眺望_南
福井駅のビル群が見える。
北ノ庄城のある方角でもある。このあと行きます。

↓本多作左衛門・仙千代人形
本多作左衛門・仙千代人形
天守出て一筆啓上茶屋へ。ここに本多重次with仙千代人形おじいちゃん赤ちゃんもおった。

なお、ここから南へ行くこと15分程の本光院という所に、彼らを含む本多家四代の墓があるが、今回は寄る時間がなかった。

↓菖蒲
菖蒲
多分あやめチューリップ紫やと思う。詩蘭毛度。

このあとは、バスバスをつかって福井駅へ移動する。

おわり。。。