本丸下の段をぐるりし、天守正面まで戻りッチ。
↓一筆啓上の碑
光の加減で、角度つけないと読みづらい。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」by本多重次。
彼が戦場から妻にあてて送った手紙の文面は、日本一短い手紙という。
墨汁があまり無かったのかもしれんね。。しらんけど。
↓天守台隅石
荒々しいけど、ちゃんと算木積みになってますね。
↓天守台
今度は天守台の狭い外周を、ぐるりしておく。
これはちょうど裏面だったと思うが、覚えていない。
↓天守台2
↓出格子窓
石落しも兼ねる出格子窓。狭間の穴も随所に見られる。
↓転用石
墓の土台か、礎石か何かか。
↓天守を見上げる
もう石垣はいいでしょ、早よ天守の中に入ったら
↓旧石製鯱(しゃち)
昭和17年~23年、天守上にあった石製の鯱(戦時中は銅の入手が困難だった)。福井大地震で落ちてしまい、ここに展示されている。
現在屋根に乗っかっているものは、元あったように木彫銅板張りで復元されている。
こんな重いものが、もし落ちてきたら危ないったらありゃしない。
↓天守入口
あれが木彫銅板張りの鯱か、よく見えないなー。。
↓天守閣記念碑
天守入る、思たら入らんのかい
もういい加減、中に入れや
昭和十八年って読めるから、修復した時に建てたものか。
↓天守内部
やっと入りました。入場料は450円だっけか。
天守内はこんな感じ。展示物などはいい意味であまり多くなく。
↓出格子窓より外を見る
↓石瓦の屋根
これこれ。丸岡城固有の石瓦。
笏谷石(しゃくだにいし)という福井産の緑色凝灰岩が使われている。理由としては、風雪や寒さに強いとされている。
天守にかかる重さは、何と100t以上!よく支えてられるなぁー。
↓懸魚を内側から
三花(みのはな)懸魚、または猪の目(いのめ)懸魚。
「げぎょ」と読むのだそうだ。今調べるまで、ずっと「かけぎょ」って読んでた。。恥ずっっ!
このように建物内から至近距離で見た記憶は無い。破風正面に大窓付いてるって、珍しいのでは
↓急階段1F→2F
おわり。。。