丸岡城!!!~1/2 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

全国に12ある現存天守。
そのうちいままで訪れた城を数えてみると、、彦根城、犬山城、姫路城、備中松山城・・・

ぬぁにぃビックリマークたったの4つぅ!?びっくり

城好きを公言していながら、少なすぎ&寂しすぎるビックリマークこのペースでは生きてるうちに12城全制覇など夢のまた夢チュー

ゆーわけで、企てた。福井日帰り旅を。

↓九頭竜川
九頭竜川
サンダーバード新幹線前車内でも、気を抜かない。有名な九頭竜川(くずりゅうがわ)を車窓から。

降りてからこの川を見る予定は、ないので。
川フェチ、出たな!?
ちなみに、「へずまりゅう氏」とは関係無い。

↓恐竜博士
恐竜博士
バスの時間によっては、芦原温泉駅で降りた方が早い。特急停まるし。

一瞬ギョッ!ガーンとする異様な光景恐竜くん

何も知らずにいると、心疾患のある人が心臓発作グラサンハートを起こしかねないレベル。小さなお子様がぎゃん泣きする大泣きレベル。・・・大丈夫なん、これはてなマーク

恐竜県PRのため、駅ホームにもあるほか、福井駅、敦賀駅などのベンチに腰掛けてるらしい。

バスロータリーが工事中モグラで、この写真を撮ってるうちにバスが出発ギリギリになってしまった。ふーアブねー!驚き

↓丸岡城天守_遠景
丸岡城天守_遠景
バスに乗ること19分。一筆啓上茶屋の奥に、もう見えてる。

↓霞城公園マップ
霞城公園マップ
遺構は多くなく、天守のみがポツネンと建っている印象。内堀もすべて埋められてしまっている。

↓丸岡城縄張古絵図
丸岡城縄張古絵図
1576(天正4)年、一向宗の抑えとして、信長の命で柴田勝家の甥・柴田勝豊が築城。

↓本多成重人形
本多成重人形
その後、丹羽長秀、結城秀康と所有者が代わったが、現地の推しは本多氏のようだ。

本多作左衛門重次が妻に送った日本一短い手紙メモ「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな馬肥せ」を売りにしている。
この人形こそが、成長したそのお千こと本多成重

↓丸岡城ミニチュア
丸岡城ミニチュア
連郭式の平山城で、本丸、二の丸、三の丸のエリアが霞城公園敷地となっている。

↓三の丸跡
三の丸跡
まず、歴史民俗資料館で勉強してから、そのまま奥へと突き進み、お天守前公園を目指す走る人

↓本丸南側石垣
本丸南側石垣
本丸の南側に出た。
南辺の石垣は現存だろうかはてなマーク

↓お天守前公園から見る天守
お天守前公園から見る天守
左端に見える階段を降り、公園に着いた。
ここから見える天守は、なかなか見映えキラキラするとの前情報。

お天守前公園より
なるほど、平山城だという事がよくわかる。

↓天守橋
天守橋
お天守前公園からさらに東へ、すぐ。田島川に架かる天守橋。

↓田島川
田島川
内堀は全て埋め立てられて道路となっているが、外堀の名残である田島川は健在。

↓國寶 霞ヶ城碑
國寶 霞ヶ城碑
では西口から城内に戻ろう。
霞ヶ城とは、丸岡城の別名。

旧字体で「國寶」となっているが、福井大地震で倒壊してしまい、現在では重要文化財であって国宝では無い。

倒壊後、同じ部材を使って再建した、ということで現存扱いとなっている。

↓丸岡城八幡神社
丸岡城八幡神社
小ぶりではあるが、築城以来の鎮守社。券売機のすぐ向かいにある。

↓牛ヶ島石棺
牛ヶ島石棺
天守の建つ台地の、北東側の広場の片隅に何かある。。
牛ヶ島石棺は、舟形で蓋付きの石棺。丸岡町の白山神社近くの御野山古墳から出土したとされている。

誰が始めたのか、お賽銭がいっぱい投げ込まれている。

↓本丸跡
本丸跡
石棺のある場所から本丸跡を見る。写真の右手に、かつて不明門(あかずもん)があった。

↓丸岡城天守閣_説明
丸岡城天守閣_説明
天守の建築様式や武骨な外見から、現存のうちでも最古の天守か、という説もあったが、近年研究が進み、1624~1645年頃の建造物という可能性が高まってきた。

国宝の再指定は厳しくなってしまったか。

↓丸岡城天守閣
丸岡城天守閣1
再び天守前へ。外壁の黒い下見板張が特徴。
スロープ状の石段から入るという珍しい仕組み。

丸岡城天守閣2

丸岡城天守閣3
よく見ると、天守と天守台の境目にスカート形の板スカートが取り付けられている。

雨水傘を逃がす工夫という事だが、そもそもサイズを合わせてない所を見ると、どっかから持ってきた移築天守の可能性無いかはてなマーク

↓お静慰霊碑
お静慰霊碑
築城のさい、石垣が何度積んでも崩れるので、お静という女性おばあちゃんを人柱にして埋める事に。天守は完成したが、程なく柴田勝豊は改易となったため、お静の子を侍に取り立てる、という条件は反故にされた。

祟りおばけを恐れた人々は小さな墓をたて、霊を慰めたお願い

↓霞ヶ井
霞ヶ井
丸岡城は、越前一向一揆の残党を抑える目的で作られた。
一向宗残党が攻撃をしかけてナイフくるたび、この井戸の中から大蛇ヘビが現れ、城に霞をかけて霧城の危機を救ったという伝説がある。

いでよ、シェンロン!龍みたいな状況か。

↓天守曲輪南東の虎口
天守曲輪南東の虎口
まだ天守、登らんのかいビックリマーク
出てきて振り返りの絵。

↓天守曲輪南辺の石垣
天守曲輪南辺の石垣
正面が霞ヶ井の井戸。本丸石垣を時計回り手裏剣に北へ向かって進んでいこう。

途中、緩やかな折れがみられる部分。

天守曲輪南辺の石垣2
野面積みが続いていく。

↓南西から見あげる天守
南西から見あげる天守

↓北西から見上げる天守
北西から見上げる天守
本丸の石垣の上に、天守石垣という構図。天守は本丸のうちで、西寄りに立っているのだ。

本丸石垣もこの辺りは少し高い気がする。武骨な野面でカッコいいZビックリマークビックリマーク



つづく。。。