島原半島南端の日野江城から、電車を三本

乗り継いで北上
。約4時間かけて唐津駅に着いたのは、午後6時頃。




そのまま予約していた店で、呼子(よびこ)イカ
、佐賀牛
に相知(おうち)の地酒
で、贅沢に夕食
。




ご満悦で酔っぱらい
、ふらふらしながらも、どうにか唐津城近くの宿まで歩いた。

↓松浦川対岸から見る唐津城

翌日は唐津城の開城時間に合わせて、ゆっくり起床
。朝食無しプランなので、近所のコンビニ
で済ます。


↓やや拡大

海に突き出た丘の上に、コンモリ
と。

「日本版モン・サン・ミッシェル」は、ちょっと言い過ぎか。
まわりにビルやら電線が一切見えないのがいい
。


舞鶴橋より。舞鶴橋は松浦川の河口に架かる橋で、写真右手はもう外海
だ。

こういう地形だと思ってたが、初代・寺沢広高が要害にすべく、地続きだった東唐津との間を分断
、河口をここになるよう河川工事したという。驚きだ。

↓本丸腰曲輪櫓

腰曲輪に寄る気はさらさら無いので、ここからズームイン
で済ます。

↓唐津城_拡大

もう少し晴れていればもっと映える
のだが、この日は曇りがち
だった。


唐津城は、標高62mの丘の上に立つ平山城だ。
↓早稲田佐賀中・高校前の石垣

開城時間までまだ少しある。
二ノ丸の方へ少し足を伸ばしてみよう
。

本丸登城口のすぐ西にある学校。
二ノ丸御殿のあった所で、比較的古い時代の石垣が残っている。
ぷにゅたも、こんな学校に通ってみたかった。
↓二の門堀_北側

そのまま真っ直ぐ西へ。二の門橋まで来た。
町田川から水を引き込んだ二の門堀。
それが写真の突き当たりまで続いている。
つまり唐津城の本丸部は、川と堀により、ほとんど島のようになっている状態。
↓時の太鼓

橋を渡るとすぐにある公園に「時の太鼓」。
土井氏の時代に初めてこの地に時鐘が置かれ、その後も江戸時代を通じて太鼓や鐘
で時を知らせてきた。

この時鐘櫓は、平成四年に再現されたもの。
公園入口は、冠木門スタイルで、二の門の雰囲気のみ再現。

そろそろ開城時間が迫ってきた。登城口まで引き返す。
戻りながら、先程とは違う角度から石垣を見る。古地図で見ると、着見櫓があった箇所か。
↓唐津城_説明

- 1608(慶長13)年、寺沢広高により築城。
- 1647(正保4)年、子の寺沢堅高は江戸藩邸で自殺。お家断絶となり、改易となる。
- 1649(慶安2)年、大久保忠職が明石より移封。
- 以降、大給松平氏
↓
土井氏
↓
水野氏
↓
小笠原氏で明治維新
↓舞鶴公園案内マップ

建造物の遺構は無いし、どうやら天守そのものも、建てられた事は無いようだ。
注目は裏手にある珍しい斜めエレベーター。
雰囲気ぶち壊しかと思いきや、ちゃんと考えて目立たない場所に設置されている。
↓登城路

エレベーターは使わず、正面から攻める。
階段の途中にも、見張台かと思える石垣が。
↓総締門跡

しばらく登っていくと、入口は少し右側に折れ曲げられている。案内図で総締門跡となっていた。
二ノ曲輪への侵入は、ここでほぼ食い止められたであろう。
↓二ノ曲輪_石垣

木々に視界を遮られて見落としがちだが、左手を注意して見ると、結構高く積まれた石垣が。
上には土塀も再現されており、もう少しここを見やすいよう工夫したらいいのに。
↓総締門跡を見下ろす

土台の石も、でかい!
つづく。。。