平井山・竹中半兵衛ゆかりの地~2/3 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

竹中半兵衛陣所跡から、嘉永池の脇を通り過ぎてから、八幡神社の鳥居神社をくぐり、八幡神社に来た。

↓ツバキ
八幡神社に咲いていた椿の花ハイビスカス

冬に咲く花の代表格。
のどかな風景が広がるエリアへと出てきた。
この道の先に、竹中半兵衛重治の墓があるビックリマーク

竹中半兵衛墓所_遠景
築地塀に囲まれた墓所だ。
陣所からここまでは、およそ15分といったところか。

↓竹中半兵衛の墓

竹中半兵衛重治
羽柴秀吉の軍師として、数々の武功を挙げた。
野心は無いが、自信家で頑固プンプンだったという。

風貌は女の如きひらめきで、現代で見れば「ジャニーズ系」だったかも。。

世に有名な「稲葉山城乗っ取りニヤ
彼は一体何のためにあえて危険な橋を渡ったのか。

斎藤に仕えてた頃、無口で隠キャラしょんぼりだったため、同僚のいじめに遭っていたという話がある。

何とか周りを見返したくて、死を賭してでも自己実現したかったんではないだろうかビックリマーク

乗っ取り成功により、才能を世間に披露する形となり、織田信長に一目置かれる事となった。

その後は秀吉の与力となり、水を得た魚うお座のように活躍した。

三木城攻防戦の最中、平井山の陣中において、病魔ゲホゲホのため36歳の若さでこの世を去る。

↓竹中半兵衛の墓へのアクセス
車で来た場合は、平井公民館の駐車場に停めることになろう。

同じ道を再び東へ。秀吉本陣跡を目指す。

それにしても、季節外れに暑い晴れ。。

↓秀吉本陣跡_入口
前回紹介の新池からさほど離れていなかった。
墓よりも、こっち先に来ればよかったかも。

正式名称は「平井山ノ上付城跡」上差し

説明板によると、業を煮やした別所軍はここ平井山に襲来したことがあり、敗北したという。

その事からも、堅固な付城だった事がわかる。

↓秀吉本陣跡_縄張図
東西に長く延びた尾根上にあり、さらに南北に続く尾根に段状の曲輪群が見られる、という構造。

道中はこんな感じ。
標高は143mと、登るというほどではない。

↓段状の平坦地群
凹んでいる場所に、切り倒した木々が置かれていて、写真ではわかりづらい。

平坦にした場所に、兵卒たちが駐屯したという訳だ。


↓主郭
まずまず広い。大将が陣取るに相応しい広さだ。


↓主郭土塁
主郭は土塁で囲まれている。

↓展望台
展望台があるが、立入禁止18禁となっていた。

↓主郭からの眺望
木々が取り払われていて、三木市街地を一望できる。

真ん中あたりに市役所が見えるので、三木城跡は画面右端か。
三木城を見張るに最適な場所と言えよう。

↓サルノコシカケ?



つづく。。。