平井山・竹中半兵衛ゆかりの地~1/3 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

パソコンPCの調子が悪く、仕方なくスマホアプリスマホで書いているので、時間がかかってしゃーない。。

今回は三木合戦時の織田方の砦・平井山をご紹介ビックリマーク

大阪空港飛行機から姫路行きのリムジンバスバスに乗り、久留美というバス停で下車。

高速道路上のバス停から下りると、ご覧のようにのどかな風景が。

ため池だろうか?この辺りには池スライムが多くある。

ここからしばらく高速沿いに東へ向け、歩みを進める。

第一目標である「慈眼寺山(じげんじやま)」が見えてきた。
ここからまだ10分ぐらいかかったと思う。

やっと入口まで来た。

「通称、一本松と呼ばれる慈眼寺裏山の山頂には、三木城を攻めるために築かれた付城跡があり、羽柴秀吉の武将有馬法印則頼が陣を置いたといわれている。」

有馬則頼は摂津国有馬郡出身の武将で、三木城合戦の功で淡河城主となり、のち家康に接近し三田(さんだ)に所領を得る。

息子は久留米に移封され、久留米初代藩主となる。

標高148m比高80m。登るのはしんどく無い。
そのわりには良い景色が拝める城跡だ。

三木市街地を一望。

光って見えるのが美嚢川(みのうがわ)なので、三木城はその先の丘上に見える。

三木城を監視するには、もってこいのロケーションだ。
上のよりもう少し東側の様子。

説明板によると、左手から続く山の先端あたりに羽柴秀吉が陣どった平井山がある。

慈眼寺山城の虎口付近にある土塁。
といっても、写真ではあまり伝わらない。

慈眼寺山を降りてからさらに西へ進み、高速下をくぐって南下を試みるが、蜘蛛の巣だらけのため即断念。仕方なく来た道を引き返し、さらに東へ。
美嚢川に架かる橋を渡り、さらに東へ。遠いな~。。

Googlemapを頼りに、平井山観光ぶどう園内の道を入って行く。

ぶどうぶどうはやはり、もう枯れている。
(訪問は2021年11月)

しばらく進むと、行く手は林道となっていく。

トイレ男性トイレ女性トイレのある場所。この辺に案内右矢印もあり、道に迷わない。

一本北の道からも来れるようで、ここがその合流地点。ここをVの字チョキに折れ、少し坂道を上がっていく。

あったあった、竹中半兵衛陣所跡の入口が。

思ったより狭い。旧来はここが秀吉本陣跡とされてきたが、土砂崩れなどで地形が変わっているにしても、確かに狭過ぎる。

ここより谷を隔てた南の山上に陣跡が発見され、発掘調査と江戸時代の絵図との照合により、そっちが本陣跡と認識されるように。

それじゃあこっちは何なんはてなマークいうことになり、竹中半兵衛の陣所跡だろう、という事に。

正式には「平井山中村間ノ山付城跡」という。

周囲は低土塁に囲まれ、南側に虎口を開けている。写真は郭内から見た虎口。

次は竹中半兵衛墓所へ向かうのだが、ただ来た道を引き返すのでは遠回りになっちゃう。

GoogleMapには描かれてない道を行くのだが、スズメバチっぽい奴が行く手をホバリングしていった。

結構ビビりながら、恐る恐る池の脇の道へ出る。

新池(嘉永池)は、江戸時代の嘉永年間に造り、昭和の初めにかさあげ工事されたため池。

ここにひっそり供養塔が立っていて、一瞬怖っ!ガーンと思ったが、別に禍々しい由来がある訳では無さそうだ。


つづく。。。