平井山・竹中半兵衛ゆかりの地~3/3 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

前回、平井山ノ上付城跡(羽柴秀吉本陣跡)の主郭に到達爆笑

今回は、そこからさらに奥へ進む。


道は2手に別れており、右へ進むと大手口、左は櫓台状の遺構がある郭へと行ける上差し
左を行く。

↓櫓台状遺構

なかなかの高さがあるびっくり
本当にこの上に櫓が建ってたかどうかは、不明。

さらに東の郭と、大手口方面の分岐点だったと思うがはてなマーク

右手の大手口のみ、攻めてみる。


↓大手口跡
大手口跡
枯れ葉もあって少々分かりにくいが、切通し状になっている。

立入禁止パーのロープがあり、これ以上近付けなかったはず。

ショートカットして主郭の方へ引き返す。

この道も「太閤道」という認識でよいのだろうか?
でなければ、撮り忘れたということになる。

行きにも通った細い道だが、このようにすぐ横は谷、という箇所もあるので、要注意注意だ。

登城口まで戻ってきた。
ツチイナゴウサギか。

↓尾崎八幡社
ぶどう園ぶどうを東へ進んでいっても、安福田地区まで道が繋がっていない、と判断。

再び西へ向かい、513号線に出てから南下。
平井山の南側をぐるっと迂回する。

513号線沿いにある尾崎八幡社神社
調べて見ると、羽柴秀長がここに布陣したらしいことがわかった。

・・・撮っといて良かった~。

↓志染川
美嚢川支流の志染川
この橋を渡ったらすぐ左折し、ひたすらまっすぐ東へ歩く。

このような長閑な風景広がる農道を、一体どれほど歩いたろうかランニング

左側を見ると、平井山から続く山並みが東に長く続く。
この山の端っこまで歩かなければならないのかはてなマーク

再び志染川を渡って、山手へ北上していく。

滅茶苦茶遠いぜ~汗あせる

途中、安福田(あぶた)というバス停に掲げられていた説明板。
帰りはこのバス停から帰るか。

珍しい地名の訳が書かれている。

↓ススキの穂

↓銀杏の木
目にも鮮やかな銀杏の木イチョウ
やっと着いたぜ、栄運寺

↓栄運寺
元禄5年開山。平井山から地続きの山で、秀吉が陣中の汗を流した野風呂があったという。秀吉は、安福田の里をよく訪れたそうだ。

銀杏のイエローロードに気を取られてて、右手にあったこの看板を見落としていた。

↓竹中半兵衛の墓(栄運寺)
やっと見つけた、もうひとつの竹中半兵衛の墓

この場所をなかなか見つけられず、1時間くらい裏山をさまよい探し回った。
順路とか案内が無く、不親切だ。

途中で本当に諦めようかと思ったほどだが、栄運寺に着くまで2km以上は歩いてきた。どうしても諦め切れない。

結果的に、さほど登らなくてよい(登り口から約2分無気力)場所だった。

墓はなぜか上部の笠石が地面に置かれた状態。

土台部分には「天正七年六月十三日」の日付が刻まれている。

ここには亡骸は埋葬されていない模様。

向かい合う石には「竹中」と刻まれていた。

このあと、安福田から三田駅行きのバスバスに乗り込み、無事家に帰りました。

あー、しんどかった。。(;´Д`)ハァハァ


おわり。。。