コロナもやや落ち着き、気候もやや暖かくなった。
今がチャンスとばかりに、能勢を攻めたのと同じ2021年3月、、
大和の国・平群(へぐり)地区を攻めておこう、と画策。。
兵5000を持ってにわかに侵略(実際は吾輩1人)。。
↓聖徳太子と雪丸看板
大阪駅から大和路快速加茂行きに乗って、35分で王子駅にとうちゃく。
近鉄・生駒線に乗り換える。
JR王子駅を出た所にある、イラスト看板。
奈良県王子町には、聖徳太子の愛犬・雪丸を葬ったとされる達磨寺がある。
雪丸は、現代では王子町観光・広報大使として活躍する。
↓竜田川
生駒線に乗る事6分。竜田川駅で下車する。
駅からまっすぐ東へ向かうと、川に突き当たった。
和歌にも詠まれた、世にも名高い「竜田川」だ。
南の王子の辺りで大和川と合流する。
↓たつたがわさくら親水公園
竜田川駅から椿井城へ行くには、川沿いに少しだけ北上し、橋を渡って東の山に向かって進む。
川沿いにある親水公園を通り抜けていく。
まだ桜には少し早かったようだ。
↓椿井城_遠望
竜田川を渡り終わった所から、東の山々を。
椿井城のある山(椿井山?)はほぼ正面あたりかと思うが、どれかな
↓笠石仏如来像
道中にあった石仏如来(かさせきぶつにょらい)像。
正式には「椿井線刻石仏(つばいせんこくせきぶつ)」といって、石の中ほどを窪ませた中に線画で弥勒を画き、頭には平石を乗せている。
鎌倉中期以前の作か。
椿井町内ではこの他にも笠石仏が存在しているという。
↓山桜
徒歩13分で椿井井戸付近に着いた。
ここのは山桜ゆえか、早くも咲いていた
。
↓椿井井戸
これが、地名の由来になっている「椿井(井戸)」。
聖徳太子も飲んだ水
で、いまなお清水が湧き出している
という。
時はツバキがちょうど散る季節。
「椿」+「井戸」・・・そのまんまやん
ここだけたくさん散るのは、誰かの演出なのか。
↓椿井井戸_説明
ここに戦勝祈願をした蘇我一族の平群神手将軍が、平群の地名の由来なのか、
勉強になりやす。。
英雄が地面に杖を刺して湧き水コンコン的な、温泉・井戸につき物の「あるある伝承」。
↓椿井城跡_マップ
登城路がわかりやすくざっくり書かれた案内地図。
春日神社の左手から登るルート(大手道)もあるが、ぷにゅたはすぐに南郭へ向かおう。
椿井城は南北に細長く、連続する山のピークに各郭を設ける。
大きく分けて北と南に郭群が分かれている。
↓登城口(椿井井戸側)
すぐにこんな感じの山道となる。
ノボリが気分を盛り上げてくれる。
↓宮裏山古墳
登り始めるやいなや、古墳に遭遇。
田中隊長でも、入るのはやや厳しい穴か。
「え~~~、ここ入るの~~やだよぉぉ~~~
」
↓登城道
山歩きといっても、椿井城跡の標高わずか225m。
大したこと無いが、途中にはこんな足を滑らせたら大変ズザザな狭い道も。
↓南1郭の南の土橋
登ること12分ほどで南郭の入口に到着。
南郭に入るには、堀切上に架かる土橋を渡る事になる。
↓南1郭の南の堀切
土橋上から左横を見た堀切のようすだと思う。
↓南1郭
土橋を渡って、そこそこ広い削平地に出た。
ここは南郭群のうちの南側曲輪(説明板では南1郭となっていた)。
↓南1郭_展望所
ここでは木々が取り払われ、西側の眺望がよい。
近年に設置されたっぽい説明板がある。見ておこう。
↓南1郭_説明板
京都の木津にも椿井城があり、区別するためか椿井山城とよぶことも。
確たる文献がなく、築城者、城主など不明だ。
- 土豪・椿井氏が築城し、木津に移り住んだとする説
- その後松永久秀が手中にし築城したとする説
- 松永滅亡後筒井氏家臣・島左近が居城とした説
などあるが、はっきりしないようだ。
↓椿井城南1郭からの眺望(生駒山)
右の方(北西方向)を見ると、山上に何やら施設っぽいものがたくさんある山が見えた。
直感的にああ、「生駒山」かな、とすぐ判った。
↓眺望(信貴山、西宮・下垣内城)
正面(西)は眼下に平群盆地、奥に大阪との間を隔てる山々が広がる。
奥の左端、ポコポコッとした山が「信貴山」。
中央やや右、木々に囲まれたグラウンドの所が「西宮城」と「下垣内城」。
↓眺望(二上山)
左の方(南西)に尖った山は、「二上山」かな?
つづく。。。