摂津・吉川城!!! | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

この日は、ここまで丸山城→普清寺→地黄城と攻めてきた。

1つどころにコンパクトに集まっており、効率よく回れたため、まだまだ時間がある。

いうわけで次に向かったのは・・・ウインク

 

地黄から出るバスバスが少ない。・・・まだ1時間以上あるなり。。

ということで歩いて南下しつつ、付近を散策する走る人

野間という所までかなり歩いた。ここに大けやきやしの木があるという。

 

↓野間の大けやき

野間の大けやき

なるほど、こいつはデカいなビックリマークビックリマーク

何だか大地の凄まじいエネルギーを感じる。。

 

↓野間の大けやき_拡大

野間の大けやき_拡大

樹齢は千年以上びっくり、幹周りは約14m、

けやきのでかさ全国No.4。(大阪府でNo.1ビックリマーク

 

もと蟻無(ありなし)神社のご神体で、現在は野間神社に合祀されている。

 

↓野間の大けやき_超拡大

野間の大けやき_超拡大

何かグロいガーン。近づいたら食われるんちゃうかなはてなマーク

 

↓野間城跡_遠望

野間城跡_遠望

来る途中に、能勢氏が再興したという「野間神社」があったようだが、スルーしてしまった。

結局「稲地」というバス停まで歩いた。

後ろの山奥に野間城跡があると思われるが、今回は攻めない。

 

なお、写真右下が稲地バス停の趣のある待合所だが、現在、撤去され屋根もない。勿体無い事だ。

 

↓豊野町観光案内所

豊野町観光案内所

ようやく来たバスに乗り、妙見口駅前まで戻ってきた。

観光案内所は閉まっていたが、楽しげなイラスト外装きのこが目を引いた。

 

↓井戸城址_遠望

井戸城址_遠望

駅前から見える山、下の方に「井戸城址」と看板があがっている。

下調べで出なかったので意表を突かれ、急遽調べたら、城域は立入禁止手との事。

思わせぶりだな~。

 

↓豊野町観光マップ

豊野町観光マップ

今から目指すは吉川城・高代寺コース。吉川城址(のところ)まで歩きで向かう。

高代寺までは行かない。

 

↓道標

道標

このような道標があるので、迷わずに行ける。

 

↓吉川神社へ

吉川神社へ

駅前から花折街道を北上していって、途中の分岐を左の細い道へ。

 

↓吉川八幡神社_鳥居

吉川八幡神社_鳥居

吉川八幡神社に着いた。

神社神社の裏山が城跡ってわけだ。

 

↓吉川八幡神社

吉川八幡神社

平安時代、源頼国の七男・頼仲(吉川氏につながる祖)(五男・頼綱が能勢氏の祖)が吉川城在城のおり、創建されたものだという。

 

本殿は1856(安政3)年の再建。

境内には「♪プァ~~ン」という、神社特有の雅楽が流れていた。

 

↓吉川城址_道標

吉川城址_道標

境内にも、このように行き先を示す矢印右矢印があり、非常に助かる。

 

↓木の根のトンネル

木の根のトンネル

大きな木の根っこが隆起したのか、倒木なのか、とにかく複雑な形状である。

 

↓ハート型ピンクハートの節

ハート型の節

たまたま見つけたハート型ドキドキの節穴。これが見つけられないようでは、お前の目は節穴かっビックリマーク

 

これで恋愛成就まちがいなしっっっ。。。飛び出すハート

いや、マジな話インスタ映えスポットスマホキラキラとして認知されてもよいかも。。

 

↓登城路

登城路

道中はこんな感じの山道。ズンズン登っていく。

  • 吉川城は長棚城とも言われ、多田源氏の末裔・吉川長仲が1498年に築城し、長仲・長満・定満の三代に亘り約80年城主となった。
  • 吉川城は戦時の城・番所として使用し、井戸城は平時の城として使い分けた。
  • 塩川長満(山下城主)が吉川氏を攻めたため、吉川城・井戸城は1573年12日間の戦闘ナイフの末、落城した。

(以上、豊能観光案内ホームページより引用)

 

*荒木村重に攻められて落城説もあり。

 

↓眺望(妙見山)

眺望(妙見山)

途中で唯一、眺望が開けた場所があった。

東に向かい合う山、有名な妙見山が見えたビックリマーク

 

妙見ケーブルが麓から伸びており、リフトに乗り継げば山頂まで連れて行ってくれる。

(冬季は休止)

 

↓主郭付近の石

主郭付近の石

主郭手前には、石垣を破却したかのような石がゴロゴロしている。

取っ散らかってて、虎口がどこかも、はっきりわからない。

 

↓吉川城址

吉川城址

単郭の単純な造りで、主郭周りには土塁ぽいものも。

この時もはや疲れてて遺構を探す気力が・・・絶望

 

吉川氏は、塩川氏との関係を考えると、遠い祖先が同じ能勢氏に従ったか、連携したと思われる。

(丸山城の南の守りがやや手薄なのも、南の吉川氏が味方だったから、と考えれば納得がいく)

 

↓御神馬いづめ

御神馬いづめ

早くも降りてきた。(吉川城址の写真、少なっ)

花折街道に出てから南下する、というルートで帰ろうっと。。

 

・・・って、えっえっ!?(二度見目

馬おるし馬。。あー、ビックリしたぁ~汗うさぎ

まったく知らんかった、吉川神社に御神馬がいる事を。。

 

2019年にTwitterアカウントが開設されると、関西弁でのつぶやきが話題を集め、瞬く間に1.6万人ものフォロワーが付いた吉川八幡神社の御神馬「いづめ」(通称いづたん・牡3歳)。

https://twitter.com/yoshikawa8izume

 

後から知ったのだがフラッシュ雷での撮影は禁止だそうだ。

大人しくて良い子だったが、こっちがビビッてしまって間近で撮れずカメラ

 

↓御神馬いづめ_説明

御神馬いづめ_説明

 

↓阪急電車?

阪急電車?

・・・吉川城に至る道を撮ろうかな、と振り返る。

またまたビックリビックリマーク

 

な、なぬ、電車はてなマーク・・・こんな所に駅あったっけはてなマークはてなマークはてなマーク

 

ではなくて、能勢電鉄1500系(1552)車両のカットモデルが復元保存されている。

宮司は鉄道マニアでもあるんだとかほっこり。。

 

↓吉川城址_遠望

吉川城址_遠望

再び振り返る。

神社の下は、山あい一面に美しい畑が。里山の風景そのものだ。

 

↓花折街道からの参道

花折街道からの参道

花折街道(写真手前左右)に合流した。

吉川神社への参道は、こっちからが一般的なようだ。

 

 

おわり。。。