前回、堺市の中でも南に位置する東区・中区などを周ったが、今回は・・・
堺区そう、堺の中心地に行ってきましたっっ
堺といえば、古墳、中世の貿易港・自治都市、鉄砲
、特産品である刃物
、自転車
などが連想される。
「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によって治められている」by宣教師ガスパル・ヴィレラ
「堺を制する者は、天下を制す」
信長も天下取りするにあたって重要視していた堺とは、一体どのような場所だったのか。
早速行ってみよう。
なんば駅から南海電車に乗ること12分。七道駅で降りて徒歩2分。
↓海船政所跡
三好氏が、堺での拠点として館を設け、政所として使用。
この場所は本国・阿波と摂河泉を往来するのに適していた。
館は東西600m以上、南北1km以上とされる広大さ。
さすがは天下人・三好である。(今は碑と案内板が建つのみ)
↓イメージ再現された環濠
七道駅近くを起点として内川せせらぎ公園が南へと続く。かつての環濠をイメージして造られたものだ。
無駄な事に金使うな~、と思ったが調べてみると実はこの川スゴかった
堺市の主導で計画された、全国初の試み「環濠モデル都市・堺の新たな取り組み」だったのだ
下水再生処理された水を、イオンモール堺鉄砲町店内
の施設で給湯・空調の熱源として2段階利用。
熱源利用後、さらにせせらぎ水路の水源として活用している。とのこと。
・一つの施設内で下水再生水を給水・空調の熱源としてカスケード利用する事例→全国初
・下水再生水を熱源・水源に複合利用する事例→全国初
すんばらしい前言撤回、
なんて効率的なんだ。
↓鉄砲鍛冶屋敷跡
海船政所跡から徒歩3分。鉄砲鍛冶屋敷(市指定有形文化財・井上家住宅主屋)
居宅のため、内部は非公開となっているが、火縄も保管している。
町屋建築として最古の部類に属し、鉄砲の生産現場を残す唯一の建物。
↓紀州街道道標
南へ徒歩5分。紀州街道。
ここが道の起点というわけでは無いが、阪堺電車も通る大道筋に出た。
↓山口家住宅
やっと出た広い道から、またすぐ左にそれる。徒歩2分。
堺市立町屋歴史館 山口家住宅。江戸時代初期に建てられた。重要文化財。
内部は公開しているが、時間が無いので外観だけで満足しておこう。
↓覚応寺
徒歩5分。
由来は伊予の豪族・河野通元が覚応と名乗り、日向の霧島山の麓に坊を構えたのが始まりで、
その後数代を経て堺に移り、覚応寺と改名した。
通元とは通有の子と説明板にあり、通有は元寇で活躍、とあるから・・・てことは鎌倉時代か
5代目が本願寺蓮如に師事して堺に・・・てことは戦国期にはすでに堺に。。
あと、与謝野晶子にも何やら縁がある寺という事(興味なし)。
↓小西行長屋敷跡
徒歩4分。また大通り(大通筋)に戻ってきた。
小西行長屋敷跡碑が建つが、大通りの傍らでもあり目立たない。。
小西行長は、永禄元年(1558)、薬を扱う商人である小西隆佐(りゅうざ)の次男として生まれた。
秀吉に仕え、商人出身としては破格の出世をとげる(千利休と同じように、堺の町衆を取り込むための施策だろう)
宇土14万6千石、朝鮮の役で活躍、キリシタン大名、関ヶ原で西軍→敗北。
小西行長屋敷跡ってゆーよりは小西隆佐屋敷跡、又は小西行長生家跡かな
↓妙国寺
また大通筋を左にそれ、徒歩5分。
開基は三好実休(義賢)。開山は日珖。
樹齢1,100年超の蘇鉄(ソテツ)〔国指定の天然記念物〕を含めた庭園が有名なお寺。
本能寺の変の際、徳川家康が宿泊していた寺。
幕末には堺事件の舞台としても有名(堺警固の土佐藩士がフランス軍艦兵22名を殺傷、土佐藩士11名がこの地で切腹)
↓土居川公園
さらに東へ少し行くと、高架の阪神高速沿いに公園が南北に長く続いている。
この公園は元々堺の町の三方を囲む濠のうち、東側の濠とそれに付属する土居があった所。
現在は埋め立てられている。
↓土居
公園と道路の間は高まりになっていて、土居の名残を感じる事ができる。
土居も南北に長く続いている。
↓曽呂利(そろり)新左衛門屋敷跡
公園の中を南に向かい、また西へ向うこと計徒歩9分。曽呂利新左衛門屋敷址。
彼は秀吉の御伽衆として仕えた、落語の始祖とも云われる人物。
実在が疑われていたが、最近は実在した説が有力。
刀の鞘を作って業としていたが、極めて巧みな腕前で、刀がソロリと鞘に収まるのでこれを名とするようになったという。
歌道、香道に通じ、茶道は武野紹鷗(たけのじょうおう)に学び、奇智とユーモアに富み、話術に長けていた。
秀吉が、猿に顔が似ている事を嘆くと、「猿の方が殿下を慕って似せたのです」と言って笑わせたとか。
↓与謝野晶子生家の跡
徒歩5分。再び大道筋に戻ってきた。
与謝野晶子はいうまでも無く有名な歌人。結婚するまで堺ですごす。
「みだれ髪」は浪漫主義の代表作。
↓千利休屋敷跡
徒歩4分。千利休屋敷址伝承地。
堺といえば、まずは千利休を思い浮かべる人も多いだろう。
中には椿井がある。はいってみよう。
希望すればボランティアの方が面白い説明をしてくれる。
↓椿井
今なお清水が湧き出るという井戸。利休もこの水で茶を沸かしたというのか。
井戸は本物かどうか不明だが、井戸屋形(屋根がついてる)は利休ゆかりの大徳寺の部材が使われているとの事で、屋敷内では唯一見る値打ちがあるものかも知れない(が、柱しか写ってねーし。)
つづく。。