神奈川県にお住いの方なら、一度は伊勢原市大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)という神社の名を聞かれたことがあるかと思います。
私は小学生の頃、両親に連れられて阿夫利神社の下社を参詣したことがあります。
50年も昔の話ですが、参道にはたくさんの土産物店が並び、ケーブルカーに乗れて嬉しかったことが記憶に残っています。
阿夫利神社の本社は標高1252mの大山山頂に鎮座しており、これは本格的な登山となるのですが、696mにある下社はケーブルカーを使って気軽に参詣することが出来ます。
その旅行では、行きの登りはケーブルカー、帰りの下山は女坂を歩きました。
子供でしたから、両親の手前、意気揚々と坂を下りて見せたのですが、その後かなり膝がガクガクして歩きづらかったのを覚えています。
両親ともまだ若く、子供心にも楽しい参詣でした。
それが先週の2024年2月11日、二度目の大山詣をするとは夢にも思いませんでした。
還暦を過ぎて寺社巡りも山岳信仰だけは避けて来たのですが、連れ合いの美月が何かに取り憑かれたように「水が私を呼んでいる」とオカルトさながらに叫び始めたのです。
富士の忍野八海を見たいとか、浅間神社の湧き水で身を清めたいとか、半ば狂乱して日帰りが難しい遠方へ行きたがって困らせるのです。
そもそも前世は餓鬼ですから、綺麗な水で製造される有名な大山豆腐で美月を釣って、辛うじて県内の大山阿夫利神社で事態を収拾することが出来ました。
(東博図録『やまと絵』より『餓鬼草紙』)
50年前の記憶が蘇りましたが、車とケーブルカーを使えば運動不足の老人でも何とかなるだろうと安易に考えてしまったのです。
当日、国道246号線、かつての大山街道を下り、ケーブルカー最寄りの駐車場に車を停めることが出来ました。
ところがそこから地獄は始まりました。
50年前のイメージよりは寂れていましたが、参道に並ぶ土産物屋は健在で、妙に懐かしい昭和の観光地が残っていました。
また落語に『大山詣り』という演目がありますが、その当時を彷彿とさせる「講」の名残りである参詣碑が参道に散見されて大変感動しました。
この話はまた後ほど書くことにしましょう。
また参道の途中には古い寺院もあり、この年齢に至って、大山が神仏信仰の聖地であることを改めて知ることになりました。
ところがこの参道は意外に距離があり、階段また階段で、土産物屋を冷やかす余裕もないまま、やっとのことでケーブルカーの駅までフラフラしながら辿り着きました。