さて、美月との珍道中の続きです。
事前の研究無しで訪れたため、ケーブルカーの麓駅に何とか辿り着いて、終点である阿夫利神社駅の手前、路線の中間に位置するところに大山寺駅があることを知りました。
そもそも大山寺など知らなかったのですが、寺院と聞いてスルーするわけにもいかず、阿夫利神社を参詣してから立ち寄ることにしました。
勾配25度のケーブルカーにも驚いたのですが、阿夫利神社から見下ろす相模国はまるで鳥になったかと思うほどの壮大な航空写真でした。
696mの下社からでもこの眺望ですから、山頂の本社からの俯瞰はどれほど奇跡的な景観なのか・・それは想像を絶する世界なのではないでしょうか。
子供の頃に参詣した時も同じ景色を見ているはずですが、今考えると95%程度は忘却してしまっているのではないかと思います。
そう考えると、『人間万事塞翁が馬(随筆)【18】母の日記』にも書いた通り、写真でも文章でも、記録は残しておかないと人生は空虚な遺物になってしまうのでしょう。
さて、阿夫利神社の社殿は実に美しく残雪と青空に映えていました。
大山は日本の文化と伝統を語る日本遺産に登録されており、江戸時代から始まる大山詣りは当時の信仰と観光を象徴する行楽であったようです。
落語の『大山詣り』では、江戸から大山街道(現在の国道246号線)を歩いて参詣し、帰りは東海道の藤沢宿へ南下して江の島や金沢八景を行楽して戻ったようです。
(『大山詣り』は古今亭志ん生の録音しか聞いていないので詳細は異なるかもしれません)
そして神社の脇には大山の別称、雨降山の名に違わずこんこんと神泉が湧いており、餓鬼美月のお腹がダボダボになるまで水を飲ませてやりました。
どうやら美月の「水が私を呼んでいる」というオカルト話は、単純に日頃から水分補給が足りなかっただけのことで、飲水後は何度もトイレに駆け込む有り様でした。
大山に感動した私は、これから身体を鍛えて山頂登山を密かに企図したのですが、下社から本社へ登る階段を見てすぐに諦めました。
これは無理です。
階段の前で唖然として美月と立ち竦んでいると、小綺麗な登山姿の七十歳ぐらいの女性に声を掛けられました。
「昔はよく山頂まで登ったんですよ」
今日は一人で下社まで登って来られたのか、山頂への階段を眺めながら懐かしそうに話されていました。
私と美月の想像では、亡くなられたご主人と何度も大山の山頂へ登られていたのではないかと思いました。
そして今も時折、ご主人を偲んで阿夫利神社を一人で参詣されているのでしょう。
辛い山道を登りながら、昔、ご主人に掛けてもらった優しい励ましの言葉を思い出すために参詣されているのかもしれません。
とても素敵な出逢いとなりました。