2023年1月28日、私は先祖代々の日蓮宗から天台宗に改宗しました。
『日蓮宗寺院(一)【1】始めに』でも書いていますが、祖父の代から横浜市中区にある本牧山妙香寺(下総中山法華経寺系)の墓無し檀家でした。
従って祖父母と両親は日蓮宗の院号頂いており、長男である私も死んだ時は本牧山妙法寺の僧侶にお経をあげて貰うのが当然であろうと考えていました。
しかし近年寺社巡りをする中で、臨終の際、住職の顔も知らぬ寺院に自分の法要を任せていいのかと疑問を感じるようになりました。
十一年前、家内が亡くなった時、現在住んでいる横浜市緑区は中区の本牧山妙法寺から遠いこともあって、葬儀社に日蓮宗であることを告げて別の僧侶を手配して貰いました。
ところが葬儀社もいい加減なもので、後で調べると法要した寺院は日蓮宗ではなく、法華宗の寺院であり、家内に大変申し訳ないことをしたと後悔しています。
根本は一緒かもしれませんが日蓮宗と法華宗は全く違います。
そんな悔しさもあって、自分の葬儀には、自分が信心する宗派で、気心が知れた住職にお願いしたいと常々近所の寺院に目を配って来ました。
日蓮・日朗上人は嫌いではありませんが、昨年、元三慈恵大師(角大師護符)を追い求める中で、この天台宗妙法寺の住職と出逢ったことが改宗のきっかけとなりました。
自宅から車で30分ほどにある妙法寺は住宅地の中にある一般的な天台宗寺院です。
角大師の護符があると言う噂を聞いて美月と訪れたのですが、まだ若い住職は何処の馬の骨ともわからない我々を温かく本堂へ迎え入れてくれました。
何と驚いたことに、そこに角大師像が鎮座されていたのです。
前に書きましたが、元三大師像は数多くあるのですが、角大師像が本堂に祀られていることは珍しく、ただただ美月と驚愕するしかありませんでした。
私と美月は角大師蒐集家であることを告げて、この珍しい角大師像の撮影許可を頂き、その出自を住職に問い詰めました。
すると住職は「お寒いでしょうから」と私達を本堂の暖かいところへ案内頂き、角大師の数奇な運命を語ってくれました。
明治期、横浜の裕福な商人が角大師を信心していたのですが、宗旨替えすると言うので住職の祖父が譲り受けたものだと教えてくれました。
少なくとも明治の時代に至っても角大師はしっかりと信仰の対象であったようです。
それを2020年から現住職が京都の寺院で修行してお祀りしようとしたのですが、不幸にも疫病除けのはずの角大師を祀った途端コロナが蔓延してしまったと笑っておられました。
私は即、妙法寺の檀家になりたいと住職にお願いしました。