仏像を訪ねて(一)【2】弁才天(辯財天)No.4 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

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元三慈恵大師(角・鬼・豆)関連グッズと良源研究、オモシロ絵馬、仏像鑑賞、日蓮大聖人像、一遍上人像、キリスト看板、自作官能小説、随筆等々、蒐集したコレクションを常設展示します。当ブログは『豆々朗師のオモシロ寺社巡り』のリメイク版になります。

2024年1月13日、鎌倉十三仏巡りを始めたことは既に書きましたが、その際、念願の長谷寺観音ミュージアムを訪ねることが出来ました。

長谷寺には出世弁財天と呼ばれる洞窟があり、琵琶を弾く二臂の弁財天と十六童子の壁面彫像が広く信仰されています。

ところが観音ミュージアムに収蔵されている弁才天は、江島神社の弁才天の影響を受けているためか八臂弁才天でした。

頭頂に鳥居を載せているものの欠損したのか宇賀神の姿はなく、キリリとした表情の江島神社八臂弁才天に比べると何処か柔和で福々しく感じられました。

ご尊格の撮影は失礼なのでじっと瞼に焼きつけていると、「いいよ、写真撮っていいよ、待ち受けにしなさい」と外国人を案内する僧侶の大声が聞こえて来ました。

さすが日本を代表する観光地鎌倉、全ての展示ご尊格の写真を撮らせて頂きました。

さて、東京を代表する弁才天と言えば、上野寛永寺不忍池弁才天でしょう。

ご開帳は年に1日、9月の「巳成金大祭」の日ですが、仏教の勉強を始めて日が浅いため、上野を二十年近くぶらぶら遊んでいますが未だ拝観したことはありません。

これは2016年7月30日の不忍池辯天堂ですが、夜、ゾロゾロと人々が集まって何をしているかおわかりでしょうか?

『Pokémon GO』です。

名前は忘れましたが不忍池にレアな水系ポケモンが出ると言うので、私と美月も含めて老若男女が池の周囲を走り回っていました。

勉強前とは言え、弁才天の安眠を妨げる失礼な行為であったと今は大反省しています。

そもそも天海大僧正は、自然にあった不忍池を琵琶湖に見立て、その竹生島の宝厳寺に見立てて辯天堂をつくられたそうです。

その設計通り、不忍池辯天堂は東京でも屈指の美しい寺院になりました。

夏、不忍池に咲き誇る蓮の花越しに遠く映る辯天堂は、極楽浄土はかくあるものかと時間を忘れて見惚れてしまいます。

さて2024年1月3日、しっかりと弁才天の理解も深めたところで、久しぶりに不忍池辯天堂を参詣してみました。

どうやらそのお姿は宇賀神を頂いた八臂弁才天坐像のようであり、今年こそは9月の「巳成金大祭」で奉拝させて頂きたいと願っています。

未だ見ぬ憧れの不忍池弁才天ですが、私と美月はその変化されたお姿を拝観させて頂いたことが一度だけあります。

あれは忘れもしない2022年10月30日のこと、不忍池に面したベンチで顕正会と非顕正会(創価学会?)が大声で怒鳴り合って宗教論争をしていました。

今にも殴り合いになるのではと危惧して見ていると、目の前で煙草を吸っていたオバサンが割って入らんばかりに身構えていました。

美月が「あれは不忍池の弁天様だよ」と言うので頭がおかしくなったかと思いましたが、確かに足の組み方も琵琶を弾く二臂弁才天のお姿に似ていると言えば辛うじて似ています。

仏は貴賤や容姿、年齢などを超越して万人を救う存在なのですから。何も弁才天が妙齢の女性に変化する必然性はないと改めて己の偏見を恥じました。

それが日蓮宗同士の喧嘩であっても、万が一の際には「弁天親分」に変化して仲裁してやろうとするのも弁才天の懐の深さなのかもしれません。

残念ながら弁才天が飛び出す前に宗教論争は終わってしまいましたが、何処かへ去っていく「弁天親分」に私は心の中で手を合わせました。