(以下、食事中に読むことはお勧め出来ません)
本日、昼食は神田小川町の『担々麺 かつぎ屋』で排骨担々麺(辛1)を注文しました。
この店では辛さが1~5まで設定されているのですが、辛過ぎるとお腹を壊すのでいつもマイルドな(辛1)を食べるようにしています。
担々麺が出て来るまで時間があるので、連れ合いの美月のブログをチェックすると、いつの間にか深大寺No.9で書いた『愛しき人の名は和子』から更新されていました。
『鏡の中のあなたと私』
https://ameblo.jp/eternal0823/
タイトルは『母恋月・・(前編)』とあり、これは担々麺の注文時間中に読むべきか迷いましたが、一人での昼食の寂しさからついつい読み始めてしまいました。
以前にも書いたかもしれませんが、美月の文章力は三流小説家の私よりも遥かに優れており、特に子供時代の貧しさを書かせたら逆立ちしても勝つことが出来ません。
まさに『令和の石川啄木』と言う称号を与えても良いぐらいの文章を書きます。
彼女の家は京急沿線の町工場が集まる地域の商店街で靴屋を営んでおり、トイレ・炊事場共同で窓が無い六畳一間のアパートに家族5人で暮らしていたようです。
ちなみに「ドングリの背比べ」になりますが、私も子供時分は同じような環境に住んでいましたが、借地とは言え一軒家でしたので階級的には上位に位置すると自負しています。
しかし最近美月に聞いた話では、貧しいアパート暮らしではあったものの、既に父親が事業に成功しており、彼女自身は私立の女子高に通っていたそうです。
考えてみると昭和の時代はそれほど家に拘らなかったのではないでしょうか?
私の叔父叔母もトイレ・炊事場共同の六畳一間に娘と三人で住んでいましたが、当時二人は電電公社(現在のNTTグループ)で働いており我が家より収入があったかと思います。
この叔父叔母はその後もずっと団地暮らしをしていたのですが、相当貯めていたのか、老後は横浜根岸の森林公園脇のマンションを購入して住んでいます。
横浜根岸の森林公園を知る方は少ないかと思いますが、荒井由実の『海を見ていた午後』に出て来る『ドルフィン』というレストランがある場所です。
すると40代前半で頭金無しの住宅ローン(5200万円)を組んで家を買った私が現在一番貧しいわけで、金銭面ではこの先下り坂の老後を送ることは確実です。
担々麺の話に戻りましょう。
『母恋月・・(前編)』を読んで想定通りウルウル涙目になっている私の前に担々麺が出て来ました。
それほど辛くもない(辛1)の担々麺ですが、不思議なもので大量の鼻水が止まらず紙ナプキンを相当量使ってしまったと言うオチになります。
う~ん、どうやら私には滑稽話の文章力も無いようです。