日蓮宗関連寺院(一)【2】小湊山 誕生寺(千葉県鴨川市小湊)No.2 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

さて日蓮生誕の地であるとされる誕生寺は、1276年、上総国夷隅郡興津の領主一族であった佐久間家の竹寿麿、直弟子となった後は寂日房日家(にけ)により開創されました。

1264年、日蓮が母梅菊の危篤を知って小湊へ戻った際、佐久間一族は説法を聞いて日蓮宗に帰依したと伝えられています。

この際、母梅菊は日蓮の祈祷によって危篤を脱しる美談となるのですが、この後清澄寺にて説明しますが、実は日蓮の逸脱した行動が母の寿命を縮めていたのかもしれません。

そんなことは露知らず、初めて誕生寺を訪れたのは2015年12月13日で、連れ合いの美月と週末に房総半島でリゾート暮らしを楽しむついでの観光だったかと記憶しています。

日記を紐解くと、やたらと拝金主義という記述が多く、寺社そのものを軽蔑していた頃だったかと思います。

従って誕生寺を参詣しましたが、『人間万事塞翁が馬(随筆)【7】』で書いた通り、興味はそこで開催されていた彫り物師『波の伊八』の写真展にしかありませんでした。

鴨川市は武志伊八郎信由の出身地であり当時誕生寺が地域振興で協力していたようです。

展示会の案内員と、伊八の最高傑作は長南町にある称念寺の八方睨みの龍であると意見が一致して盛り上がったことを覚えています。

そして次回参詣は、2019年10月6日で、ブログのネタ欲しさにかまけて、残念ながらまたしても誕生寺の有難みを実感出来る巡礼ではありませんでした。

丁度翌年2月16日が日蓮聖人御降誕800年でしたが、ほぼ関心がない不良スタンプラリー信者だったことは否めません。

この時は「日蓮交差点」を見つけて大喜びしたり、9月に上陸した台風15号の被害状況、また自販機の特別デザインなどを懸命に写真に収めたりしていました。

一体、この交差点はどうして命名されたのか今でも不思議です。

房総を襲ったこの台風の被害にはずいぶんと心を痛めました。

これは伊藤園の自販機なのですが、大塚製薬のオロナミンCが入っているものの、何故かポカリスエットはまだ入っていないようです。

人間は興味を持たなければ何も見えないもので、この頃は日蓮宗に興味もなく、連れ合いの美月だけに夢中だったのかもしれません。

観光同様に信心・研究もせず寺社巡りをしたところで、今考えれば何も人生において得られるものは無く、愚かであった自分を反省するばかりです。