仏像を訪ねて(一)【1】青面金剛(庚申信仰)No.2 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

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元三慈恵大師(角・鬼・豆)関連グッズと良源研究、オモシロ絵馬、仏像鑑賞、日蓮大聖人像、一遍上人像、キリスト看板、自作官能小説、随筆等々、蒐集したコレクションを常設展示します。当ブログは『豆々朗師のオモシロ寺社巡り』のリメイク版になります。

世の中には凄い人がいるものです。

所謂マニアと呼ばれる人々で、庚申信仰に関して、私は二人の方の研究を参考にさせて頂いています。

一人目は庚申フィールドワークの達人である「ブナの森」(川崎市)さんで、『東京・神奈川の庚申塔』と言うブログを主催されています。

検索されるとわかりますが、関東近県で17,000基の庚申塔が詳細に紹介されており、おそらくはこれに勝る蒐集など今後あり得ない偉業ではないかと尊敬しています。

二人目は横浜市にお住いの大畠洋一さんで、定年退職後、趣味として郷土史・東海道・石仏研究を始められた理論系史家で、お名前で検索すると膨大な成果を読むことが出来ます。

伊能忠敬は家業から隠居して後、測量による日本地図完成を目指しましたが、健康サプリに迷走する現代の老人達は何を目指して長生きしたいと願っているのでしょうか?

自省する日々です。

さて本題に戻って、もう一度庚申塔の特徴を見ることにしましょう。

この画像は近所の極楽寺という寺院にある庚申塔ですが、やはり双方とも手を合わせた人型の髪を青面金剛が掴んでぶら下げています。

相変わらず下支えする邪鬼も辛そうです。

そもそも庚申信仰とは何なのでしょうか?

これは中国の道教で説く三尸説を骨格にして、密教・神道・修験道などが複合的に習合した民俗信仰であると言われています。

十干二支における庚申(かのえさる)の日に、三尸(さんし)という虫が眠っている人間の体から抜け出し、その人の悪行を天帝の許へチクりに行くのだそうです。

右から、上尸(首から上)・中尸(腹中)・下尸(足)であり、天帝に悪行を報告して宿主を早死にさせることで、三尸は解放されて自由に動き回れる鬼になれるのだと言います。

天帝に悪印象を与えると寿命を縮められるため、庚申の夜は三尸虫が天に昇れないように眠らず過ごすという風習が行われました。

これを守庚申(庚申待)と言うのですが、60日毎に巡って来る庚申の日を寝ずに7回続けると三尸は絶えてしまい、18回続けた記念に庚申塔を建てるのが習わしだったようです。

庚申信心は8世紀後半には貴族の間で普及しており、室町時代に儀礼が整えられ、江戸時代には庚申講として庶民にも広まっていきました。

仏教では庚申の本尊を青面金剛および帝釈天に、神道では申が十二支の猿に当たることから猿田彦神を主神とするようになりました。

ここから猿が庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られるようになったと考えられています。

そこまで三尸が心配なのであれば悪行をしなければよいと思うのですが、「月待ち」も同じで、飲食しながら皆が集まって夜明かしするのが人々の娯楽だったのだと思います。

楽しくなければ祭礼・行事は続かないものです。