冬本番の気温と冷たい雨のせいか、我が家の愛猫「慈恵(じえ)」は、エアコンの暖風が当たる場所でモフモフに丸まって動こうともしません。
野良猫だった一昨年の冬よりはましでしょうが、天井から暖気が部屋全体に下りて来るエアコンでは、炬燵やストーブのように熱源を感じられず何処か所在無さげです。
これは人間も同様で、昔は囲炉裏・火鉢・炬燵・ストーブなど熱源は一点にあり、「火に当たる」という言葉通り、そこに家族全員が集まって直接暖を分けて貰っていました。
ところがエアコンは、むらなく部屋全体を適温で暖めてくれる利器であるため、確かに快適ではあるのですが、心の拠り所が無くなってしまったような不安を感じてしまいます。
さて、そんな寒さも相俟って、今週末は寺社巡りを諦めて、2024年の年賀状作成に取り組みました。
還暦を過ぎてから人間関係(会社)を大幅に断捨離したこと、また親の喪中が増える世代になったこともあり、来年の年賀状購入枚数は50枚に減らすこととしました。
ただ、『元三大師関連寺院(一)【1】東叡山寛永寺No.3』で書いた通り、来年の年賀状は角大師に偏らない芸術性の高いデザインを目標に掲げて検討を始めました。
来年は辰年ですから、当然ながらまずは龍の画像捜しです。
私にとって最高の龍は、千葉県長生郡長南町にある称念寺の欄間に彫られた龍です。
これは文政6年(1823年)に、武志伊八郎信由(通称:波の伊八)が最晩年に彫った八方睨みの龍で、彼の最高傑作であると私は確信しています。
ところがこれほどの逸物がありながら、称念寺の本堂は檀家以外には開放されておらず、ガラス越しに撮影するのですが光ってしまって使い物になりません。
隣接する金儲け寺(後日紹介)への反発なのかもしれませんが、参詣者は金の亡者ばかりではないので、依怙地にならず門戸を開いて欲しいと願って止みません。
そのような事情から干支の辰は諦め、大好きな東京国立博物館の渡海文殊菩薩騎獅像を使うことにしました。
もちろんバックは渡海を宇宙規模化した暗黒星雲です。
しかし文殊菩薩だけでは寂しいと考えて従者を勢揃いさせてみました。
ところがこれではごちゃごちゃし過ぎるので可愛い善財童子だけ添えてみました。
何とかデザインとしては及第点となりましたが、これも仏教に詳しくない一般人には薄気味悪いのではないかと考え込んでしまいました。
しかし年賀状がその人の現在を現す便りであるとするならば、この文殊菩薩が私の内面を最も表現しているデザインであることに間違いはないでしょう。
また来年、友人を失うことは覚悟の上で・・