仏像を訪ねて(一)【1】青面金剛(庚申信仰)No.1 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

如来、菩薩、明王、天、宿曜、本地垂迹、羅漢、祖師・・仏像の世界は一生をかけても網羅することが出来ない「劫」の時間軸にあります。

1辺が2,000kmある立方体の岩に、100年に一度天女が舞い降りて、羽衣で一撫でして岩が消滅しても「劫」に満たないと仏教の注釈書に書かれています。

また、1辺2,000 kmの城にぎっしり詰まった芥子粒を、100年に一度1粒ずつ取り出して完全になくなっても「劫」に満たないとも書かれています。

たった80年程度しか寿命がない人間にとって宇宙スケールは認知外のこと、まずは路傍でよく目にする苔むす庚申塔から地道に考えていきましょう。

私が庚申塔を初めて意識したのは、2019年5月18日、東京都文京区にある千駄木の団子坂を登った先の光源寺を訪れた時だったと思います。

その堂内におわす本尊の十一面観音菩薩は立派であったのですが、境内に祀られた野ざらしの庚申塔に強く心惹かれました。

文京区教育委員会の案内板によると、この笠付角柱型庚申塔は明和9年(1772年)に造立されたもので、江戸時代中期の庚申信仰を伝える優品の文化財であると書かれています。

まず中央におわすのは青面金剛(青色大金剛夜叉神)であり、岩座の上で踏みつけられているのは「もうやっていられねえよ」と言わんばかりの邪鬼です。

実に良い表情で笑ってしまいます。

邪鬼の左右には鶏が彫られていますが、これは後ほど庚申信仰について言及しますが、夜明けを伝えるものとして添えられています。

そして岩座には、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の有名な三猿が祀られています。

三猿を語り出すと、最後はこのブログのテーマである元三慈恵大師良源の七猿にまで辿り着くのですが、それは『元三大師研究』で書くことにしましょう。

また、この光源寺の庚申塔では薄れて確認しづらいのですが、上部左右には日月が彫られるのがオーソドックスです。

(藤沢市荘厳寺の庚申塔)

さて、青面金剛本体に移りますが、形態は土地により様々に異なりますので『陀羅尼集経・第九』を引用することとします。

『一身四手、左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。其の身は青色、面に大いに口を張り、狗牙は上出し、眼は赤きこと血の如く、面に三眼あり、頂に髑髏を戴き、頭髪は竪に聳え、火焔の色の如し。頂に大蛇を纏い、両膊に各、倒に懸ける一龍有り。竜頭は相向う。其の像、腰に二大赤蛇を纏う。両脚腕上に亦大赤蛇を纏い、把る所の棒状も亦大蛇を纏う。虎皮を胯に縵す。髑髏の瓔珞、像の両脚下に各、一鬼を安ず』

実に恐ろしいお姿です。

しかし青面金剛の最大の疑問は、人形(ひとがた)の毛髪を鷲掴みにしているところです。

しかもこの掴まれている人は女性のようでもあり・・この謎は次回に続きます。