第378号皆川城 | 城新聞

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-Japanese castle press-
Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.

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皆川城の起源は永享の乱後、長沼氏庶流の皆川氏が城を構えた事から始まったと伝えられています。皆川氏は戦国時代に入ると、北の鹿沼城を攻略した宇都宮氏から圧力を受け、従属と離反を繰り返しました。小田原征伐では、皆川広照は北条氏に与して小田原城へ篭城したため、皆川城は豊臣方に攻撃されて落城します。しかし、広照は小田原落城寸前で脱出して徳川家康の陣所に駆け込み、家康の取り成しによって豊臣秀吉に所領を安堵されました。1591年、広照は本拠を栃木城に遷し、皆川城は破却されました。ちなみに皆川氏は1609年、家康によりいったん領地を没収されたものの、大阪夏の陣に加担し、家光によって再び取り立てられ、常陸国府中に1万石を与えられました。
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皆川城は別名を「法螺貝城」と呼ばれている通り、城山は山腹に多段に腰曲輪や帯曲輪が配され螺旋になっています。主郭は山頂にあり、西下にやや広い「お花畑」、さらに西に大きな「西ノ丸」があります。 北側の山腹には東西両側から土塁と掘が伸びた空間があり、それが交わる所が虎口になっています。
【近隣の高校】
栃木県立栃木工業高等学校

機械科 、電気科 、電子科 、情報技術科 の4学科からなります。車椅子修理や「タイ王国における福祉ボランティア活動」等、工業の技術を生かした福祉教育活動を活発に行っているそうです。