第376号栃木城 | 城新聞

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-Japanese castle press-
Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.


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1394年に長沼(皆川)秀光が築いたとの伝承があるものの、明らかではなく、1591年皆川広照によって築かれことがはじまりのようです。広照は、1584年に小田原の北条氏政・氏直父子と戦い、和議後に北条氏に従いました。こうした経緯から、1590年の豊臣秀吉の小田原の役では、北条方について小田原城に籠城しました。北条氏が滅亡すると、広照は徳川家康に仕えました。この時期に築城されたのが栃木城で、広照はそれまで居城としていた山城の皆川城を廃城として、栃木城に移りました。その後、1603年、徳川家康の6男・松平忠輝が信濃川中島18万石に封ぜられると、 皆川広照は忠輝の傳役として、信濃飯山に配され、飯山藩が立藩しましたが、広照は1609年、主君忠輝の不行跡に連座し、傳役としての責任を追及され改易となったため、栃木城は廃城となりました。 一時期、戸田氏の 栃木陣屋が栃木城内に置かれたこともあったそうですが、1789年、戸田忠禄が栃木陣屋を移転したため、その後使用されることはありませんでした。城跡にある案内解説板には、かつては本丸、二の丸、三の丸、蔵屋敷を備え、城の周囲は約927メートルを擁した広大な平城であったとあります。

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ちなみに改易となったその後、皆川広照は、1623年に赦免され、常陸府中で1万石を与えられ、1625年に嫡男の隆庸に家督を譲って隠居し、2年後に80歳で没しました。

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学悠館高等学校
栃木県唯一の昼夜間開講の定時制課程及び通信制課程を置く単位制によるフレックス・ハイスクールです。栃木県立高校で唯一、学校名に地名が付きません。2004年に創設され、昼夜間開講の三部(午前・午後・夜間)からなる定時制課程と通信制課程を併設しています。