![photo:01](https://stat.ameba.jp/user_images/20131215/16/shiro-shinbun/78/a9/j/o0480035912781423999.jpg?caw=800)
1394年に長沼(皆川)秀光が築いたとの伝承があるものの、明らかではなく、1591年皆川広照によって築かれことがはじまりのようです。広照は、1584年に小田原の北条氏政・氏直父子と戦い、和議後に北条氏に従いました。こうした経緯から、1590年の豊臣秀吉の小田原の役では、北条方について小田原城に籠城しました。北条氏が滅亡すると、広照は徳川家康に仕えました。この時期に築城されたのが栃木城で、広照はそれまで居城としていた山城の皆川城を廃城として、栃木城に移りました。その後、1603年、徳川家康の6男・松平忠輝が信濃川中島18万石に封ぜられると、 皆川広照は忠輝の傳役として、信濃飯山に配され、飯山藩が立藩しましたが、広照は1609年、主君忠輝の不行跡に連座し、傳役としての責任を追及され改易となったため、栃木城は廃城となりました。 一時期、戸田氏の 栃木陣屋が栃木城内に置かれたこともあったそうですが、1789年、戸田忠禄が栃木陣屋を移転したため、その後使用されることはありませんでした。城跡にある案内解説板には、かつては本丸、二の丸、三の丸、蔵屋敷を備え、城の周囲は約927メートルを擁した広大な平城であったとあります。