第375号城ノ台城 | 城新聞

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-Japanese castle press-
Trying to find dreams are more precious!
I walk to the horizon and there I find another,
It all seems so surprising and then I find that I know.

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築城者は不明ですが、稲荷神社のあるところから多聞寺の裏山の地点までの範囲にわたる台地上に建てられていたと考えられています。台地より南下にある「字城ノ下」という地名が唯一の遺構であるといわれており、 京成「東中山」駅から南西にある多聞寺のある裏山に城ノ台城があったとされています。ですが、現在は旧総武線の土取りのために地形が破壊されたり、宅地化が進んだことでかつての遺構はすっかりなくなってしまっています。城之庭と名前を変えたのは1876年、地租改正事業の時といわれています。この低地地帯に「小栗原」という地名があることから、小栗判官満重という者を城主とする説もあります。1532~1555年、後北条氏と里見氏は房総で争いを繰り広げていましたが、城の台城は北条氏康により里見氏への備えとして築かれた有吉城の西に位置する丘に存在しています。しかし、この城に関する文献資料などはなく発掘調査によっても城館の存在を決定付ける遺物は発見されておらず、今も結論が出されていないようです。

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近くに野球博物館がありました。閉館時間だったため、中には入れませんでしたが、「東京六大学野球」をはじめ、戦前までのアマチュア野球史料が展示されているそうです。

【近隣の高校】

市川中学校・高等学校
学校法人市川学園が経営する私立中高一貫制共学校です。高等学校では、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から入学した外部進学生徒との間で、第2学年から混合クラスを編成する併設型中高一貫校です。1937年、教育者で東京府立四中教諭・主任であった古賀米吉氏が同市内に旧制中学校として市川中学校を開校させたことに始まります。創立以来およそ70年間男子校であったそうですが、2003年本北方への高校・中学校舎の移転に伴い、中学の共学化を開始、その第一期生が高校に進学する2006年年からは高校の共学化も実施されました。古賀氏は福岡県出身で相当な苦学をされた中、学校を設立した教育者で、私学の振興・発展に対する永きにわたる功労が認められ、藍綬褒章、勲四等瑞宝章、従五位勲四等旭日小綬章を授与されているそうです。