誹謗中傷について 否定(批判)の先に見える景色
今回は誹謗中傷について書いていきたいと思う。今は情報化・ネット社会になり誰でも気楽に情報を発信できるようになっている。情報がたくさんあふれかえっていることによって良くなった面もあれば、情報に踊らされて本当か嘘か判別できない情報に振り回されている人も多いように思える。感性や理性は決して万能ではないから誰もが少なからず振り回されるのは仕方がないがネット・情報リテラシーは高める努力は必要なんじゃないかと思う。そしてリテラシーを高めても客観を全て把握しきれない事をも理解するべきだと思う。要するに誰もが正しいリテラシーを会得できない事を理解すべきである。
昨今っというかネット社会になって誹謗中傷が取り上げられることが多くなった。何か過ち(失敗)を犯した人に対して、誹謗中傷したりする事があったり、嘘か本当か分からない事に踊らされて断定して批判してる人もいるのではないだろうか?また一所懸命頑張っている人にまで批判の矛先を向けている人もいる。誹謗中傷の質というのは千差万別だから全て一括りにして答えられることはできないかもしれない。また誹謗中傷している人にもそれなりの理由があって叩いたり批判しているのかもしれない。しかし相手を否定(批判・誹謗中傷)する先に見える景色をイメージする視点も大事なんじゃないかと思ったのでこの記事を書いてみることにしました。
僕たちの感性や理性は決して万能ではない。だから誰もが誹謗中傷(否定・批判)に陥ることはある。客観は全てを知り得ず感性や理性は全てを紐解けない。情報に踊らされてしまうのである。だから誹謗中傷(批判・否定)を全否定する訳じゃなくて誹謗中傷してしまう事によって損なわれる事にフォーカスしてみたい。
誹謗中傷する人にも色々なタイプが居るのではないだろうか?相手を貶めたくてする人・羨ましいからする人・取り立てて理由はないがムカつくからする人(現実がうまくいっていないからの腹いせ)・情報を正確に把握できず間違った捉え方に陥ってする人などなどこのタイプに共通する部分は多分に本質を突いた批判ではなく、仕様末節を過大に評価()して批判をする事や物事の本質を突いていないで批判してしまう事だと思う。情報を正確に把握できず間違った捉え方に陥いる事は誰にでもあるからこれに関してはしょうがない部分はあるけど、悪意を持ってしてしまう人たちは自分の問題点を捉える視点が著しく低くなっていると感じる。いやむしろ自分の問題点を無かった事にして相手の問題点に着目してしまっているようにすら見える。その自分の問題点とは何かと言うと、そういう振る舞い(誹謗中傷)をする事で自分自身の心の眼(真偽判定)が下落してる事に無頓着になっていると思うのである。ネットの中は顔が見えないだからインスタントになんでも投稿できてしまう。時には間違った事はいたり、他人に迷惑をかける事もする事もあるだろうけど、顔が見えないからといって自分自身の心は変化をしないわけではないでは無いじゃないか。悪意を持った人たちは自分の心の変化に無頓着で相手を貶めたりする事で自分が高みにいると錯覚していると思われるけど、高みにいる様で本当は自分自身も下落してしまっていると思う。ただそこに視点が向かないから強がっている様にも思える。こういうタイプの人は自分自身で自分自身を偽っているタイプの人が多いのでは無いだろうか?このタイプの人でもし自覚がある人なら多分この記事を読んでこう思うと感じる。『そんなことおもってないし』こういう自分を擁護する発言を自分自身に吐くんじゃないだろうか?しかしこれはそのセリフが重要ではなくその言った時の心の乗り方に後ろめたさや口をすぼめた自己弁護的な言い種になっていないだろうか?そこを気付けるならばそう言う思考に陥らない方がいいと思うのである。ネットの中だからといって心の変化もチャラになる事はできない。もしそういう誹謗中傷を続けてしまうと、現実の人と人とのふれあいの場面でも顔を出すようになってしまう。そしてそこに気づけているのにさらに自分自身を偽ると本当に周りが嫌煙してしまう人になってしまう。また誹謗中傷を普通にやってしまうと、自分自身を自分が肯定できる視点も欠落するのである。その視点というのはもし誠実な他人がいてもその輪に入っていけないのである。付き合う人は人の批判をする人で固められやすくなってしまうのである。そうすると抜け出せなくなってしまう。問題点は思いの外多いと思うのである。枝葉末節の様なところに眼を向けるのではなく本当に批判が必要なところに批判や否定をするべきでそこを向けるためには誹謗中傷に力を注ぐべきではないと思うのである。そして物事の本質的問題点を考えたり指摘する思考は意外と面白いと思われるのである。だから力の入れどころをそっちの方にシフトしてしまえばいいのではないだろうか?誹謗中傷して面白いと感じる人もいるけども、その面白さは自己完結型でまた他人を幸せにはしない。そして長い目で見たらあなた自体も幸せにしないと思われる。だから本質的問題点に着目するべきである。
否定(誹謗中傷)の先に見える景色を書いてみました。今の時代はまだネットができて日が浅い。ネット揺籃期(ようらんき・物事の発展する初期段階)の様な時代に生きているんじゃないかと思う。だから情報も玉石混交だし、ネットリテラシーもまだまだ誰もが稚拙なんじゃないかと思われる。情報リテラシーを鍛える事は大切だけど完璧になる事はできないで踊らされる事もあるだろう、だから誹謗中傷に陥ることもあるかも知れないし、誹謗中傷がピタっと止むことはないと思われる。ただ僕が言いたいのは誹謗中傷それ自体より、誹謗中傷したあなた自体の事に視点を向ける事が大切なんじゃないかと思っています。読む人にとっては耳が痛い事も書いてあるかも知れないが、良薬は口に苦しと言いますし、優しい表現だけで人はついて来ないと思うしその中に少し厳しさを織り交ぜてみました。