社会の問題について自分なりに思う事

 

 

人口が肥大化して社会的に階層がある場合一国のトップが全てを包み込む発言は出来ない。そして一人一人が問題意識をもって社会を見ないと結局は問題は解決できない事が多い。人口が肥大化した国、色々な階層がいる社会の中では階層間(組織・民族・年齢・階級・etc)の間でいろいろな問題が浮上する。あっちをたてばこっちがたたず、こっちがたてばあっちがたたずである。その階層が上から下へマトリョシカの様に織りなしている。一国のトップが全てを包み込む発言ができないのもジレンマが幾重にも重なっているからだと思う。トップができるのは全体を見渡して1番いいと思う着地点を見つけ出すことなんじゃないかと思う。しかし1番いいと思う着地点の出し方(政策の場合)は総理によって異なる。ある人は経済の発展を重んじたり、労働の改正など福利厚生の方に比重を置く人もいる。またブータンの様に幸福指数で社会システムを考えたり、社会主義の様に皆平等になるにはどうするかなど着地点の出し方は異なる。幸せの感じ方は人それぞれだし、国民の票で選ばれる制度だから全ての人が納得してトップについて行きたいとも思えない様な構造にもなっている。ただだからと言ってトップを否認(是認)するだけで国民が社会の問題に意識を向けないのは、結局は社会システムが良い方に進む度合いは歩みがかなり遅くなると感じる。

 

 トップが1番いいと思う着地点は社会の問題(ジレンマ)の中でもその中の最善の策を講じる事も重要だと思う。ジェネラリストの様に広範囲に知識を持ち視野が広い人が適役だと思われるけども、トップだって人間で全てを把握するだけの知識を持ってはいない。補佐する周りの人たちの知恵も大切であると感じる。今の肥大化した人口や多彩な階層の形態的にジレンマから逃れることはできずトップは最善策を講じて(最善策かの判断は難しいけど)もどこかで光ある所に影(どこかを拾い上げどこかを捨てないといけない)が生まれてしまう。それは逃れることはできない。だから誰にとっても幸せになることは無理だと思われる。ただトップは自分の政策(マニフェスト)に責任を持ちブレずに最善策だと思う事を施すことが結果的に最善策なんじゃ無いかと思う(人によっては受け付けない人もいるだろうが・政策が気に食わないとかである)。社会の問題はトップダウン式(上意下達・上から下に命令する様な)だけで解決する様な生やさしい問題ではなく、ボトムアップ(下から上に報告する様な)双方向のやり取りがないと、どんなにトップが素晴らしくても問題は解決しないと思われる(仕組みが改善しても新しいことには問題が付き物で持たざる者が皺寄せ的にキツいままだったりする。例えば派遣社員など)。社会の階層の中で色々な問題がある。全てを把握するのは難しく、ボトムアップで拾い上げられた情報がすごく大事になってくると感じる。だから国民全体が自分が感じる不満点や社会の問題に意識を持たないと問題は葬られてしまう。学校や組織のなかでイジメが起こる構図を思い出して見て欲しい。イジメが起きても周りが指摘できないでいると問題は葬られたままである。見てる人も同罪の様な過激な考えは持たないけども、問題は放置されたままで済まされてしまうのじゃ無いだろうか?少なからず誰もがイジメに関しても思うところあるし、社会の問題についても苦虫を噛み殺すような気持ちを抱いているのじゃ無いだろうか?だから一般市民の様な人たちの知恵がすごく重要になってくると思われるのである。むしろ持たざる者の立ちの心で感じた、もっと言えば身体で感じた痛みみたいなものを意見に出す事も重要なんじゃ無いか?政治形態的にも社会的な考え的にも持つものが強い様な構図が出来上がっており、その路線で政策を推し進めていると個人的には受ける。今少し変わってきてる事とは持つもの(金・名誉・地位・階級)という強固の価値観が信頼に置き換わってきている部分もあるから全体的には少しずつ良くはなっているだろうと思うけども、社会的な考えはまだまだ保守的な(地位や立場になびく・または日和見主義だったり付和雷同してしまう)人も多い。ただ今は情報化社会なので自分の頭で調べたり考えたり情報を精査している人もかなりの数増えているんじゃ無いだろうか?だから少しずつは良くはなっていると思う。

 

 そして今の時代は風の時代と言われているらしい。今までが土の時代で価値観や仕組みなどや常識などが横ばいで変わらない時代だったけど、風の時代に入ったから今までの価値観や仕組み、常識などが何度も改められたりまたはブラッシュアップする様な時代になっているみたいだ。価値観の多様化も起こっていてこれが良いからそれの反対が悪いみたいな考えも解体している様に思う。多様性を受け入れる時代に変わっていっている。情報化社会でいろいろな事が明るみになったからだと思われる。それだけ人間の精神構造が良い意味でも悪い意味(ネット・情報リテラシーがない人の場合)でも変わってきてる時代なんだと思う。

 

 色々な階層(組織・民族・年齢・階級)でジレンマがあるならそこのなかで問題意識を持ちその階層の中だけで考えるだけで済まさずに社会の中でどうしたら最善かを考えれる人は考えた方がいいように感じる。そしてボトムアップできる様な意見を聞き入れる様な社会には少しずつなってはきているからそれを継続発展する事も大切なんじゃ無いだろうか?トップだけではなく都道府県知事また地方議員など全体が社会の問題(ジレンマ)は自分たちの問題だと受け取り、市民もボトムアップ的に報告するなり、報告しないまでも自分の頭で考えた方がいいと思う。そうしないと変わるものも変わらないと思うし、ジレンマの放置や持たざる者が皺寄せのまま膠着状態から抜け出せないままだと思う。