私が今ほしいもの

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私が今、ほしいものは・・・『発売中の全種類のうまい棒』
 
めんたい味 チーズ味 コンポタージュ味
定番の味は美味しいですが、マニアックな味はあまりコンビニとかに置いてません!
昔食べたなっとう味が食べたいなー!ウインク
そして全種類のうまい棒を一気に食べくらべしたい!
アメーバさんどうぞよろしく!
 

シンプルなルール

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おはこんばんは シレンジャーですよ お久しぶりに思ったこと書いていくぞー
 
今日はストックした記事ではなく今書いて記事にした出来立てほやほやの文章です!
 
今日の題名は「シンプルなルール」です。皆さんはシンプルなルールと聞いてどのようなことを思い浮かべますか?僕はわかりやすいとか単純とか聞いててすっきりさっぱりできるような事を思い浮かびます。僕自身は物事を複雑に考える癖があります。でもその複雑に考えた物事をわかりやすくシンプルに記述できたり言葉にできたときにうれしい気持ちになります。そしてこの宇宙のルールは複雑だろうけど、その複雑さをシンプルに置き換えて説明できるような世界観の宇宙だと僕は思っております。例えば数学とか物理法則とかも結構シンプルな公式だったりしませんか?あの公式が100%正しいとは思っておりませんが、ある一定の宇宙の法則を包括はできてると思うのです。僕が今からいうシンプルなルールも絶対的なルールを指しているわけではないことは先に行っときます。でも僕が今思う、今感じる、思いのたけをシンプルなルールとして書いてみたいと思ってます。では前置きはこの辺にしてさっそく始めましょー!
 
「縛りがあろうが自由に縛られるべき、それは他人の自由を妨げない自由、それが自由(平安)への道程だから」
 
「僕たちはいろいろな物に縛られているが、その縛りをほどく自由な考えに縛られるべき、その考えは突き詰めていけば他人の自由を妨げない自由、なぜなら他人の自由を奪ったら自分の自由がなくなっていくから」
 
今かっこの中に書きましたシンプルなルールは上が簡易版で、下がすこし補足版です。もっと端的に表せればよかったけど、端的に表せませんでした。そしてちょっとわかりずらいので説明して補足していきます。またこのルールは、ほかの記事で同じようなことを言っていたのでなんだこんな事かと思われてしまったら申し訳ないです。このルールを掘り下げて書いていきたいと思っておりますのです。
自由と聞いて皆さんはどのような印象を受けますか?皆さんの中で自由に対する考えは違うと思います。ある人にとってはあまりいい印象はもってなくて、自分勝手に行動なり好き勝手にやってる人の事を自由人と呼んだりしてますね。僕はこういう人は本当の意味で自由人だとは思っておりません。他人の感情をおもんばからない態度をとる人は、その行動により周りから認められないという境地に陥る。足かせが生まれるのである。また自分本位な思考はその人自身では自由な行動だからと思って正当化しているが心の上でも自由は獲得できないのである。なぜなら自分自身の行動がうまくいかないことが出てくるからである。他人に認められないし、自分で自分自身に足かせを付けてる状態である。だから自由になるためには、他人の自由を妨げない自由、自分自身についてるいろいろな縛りに対する自由をほどいていくべきである。これは言葉で言うと簡単だが、実際にはとっても難しい行程だと思う。しかしこの工程を経ないと自由(平安)は獲得できないと思うのである。僕たちはいろいろな物に縛られている、最初は体というものに縛られる、それは容姿だったり体系だったり、または言語や社会、風習など端的に言えば環境である。いったん縛られなきゃいけないのである。一番初めに体というものに縛られることによって、それを維持するために食べ物を食べなくちゃいけないという縛りが生じる、その縛りは死ぬまで続く、それで人々は苦しんでいる部分はあると思う。それは容姿にも言えることだ。人間には美醜を感じ取る感性がある。どんな人にもそれを感じ取ってしまう。僕はこの感性は脳内が作り出した幻想だというとらえ方があるが、たとえそれが幻想だとしても、その人がそのように感じてしまうのであれば仕方のない事だと思う。そして幻想だから、価値(美醜)がないんだと論理飛躍する人もいるけど僕はそう思わない。僕たちは縛られている、ある偉人のように何にも縛られない見方で世界を見ることはできない。それは僕たちの住む世界はいろいろな物に意味や価値を付けられている世界に住んでいるからである。そしてその世界で生活しているのである。ある教義の価値がないというのはただ単に物事には一切の価値がないことをさしているわけではないと僕は解釈はしている。人々は価値のあるものと価値のないものを分けて考えている。例えば自分にとって有益なものは価値のあるもの、自分にとって嫌な事、つらいこと、不利益なものは価値のないものだと。有益なものに価値を置いたら執着が生まれる、それは欲だといっている。その欲に苦しめられているといって諭している。逆に自分にとって不利益なこと、つらいことは価値がないと思っていても、そういう苦しみが生じると思うことで価値が生じてしまってることに気付かないと諭しているんだと思う。だからそういう境地に陥らないために無価値を探せと言ってるように感じる。僕は古代の偉人がそういう風な言葉を発したかはわからない。僕が見た教義は現代に生きているその源流をたどったといわれている人の本から得た考え方を書いてるだけだから、でも僕は思おう、無価値論はナンセンスだと思う。まず悟りの境地(無価値を発見した)とは論理的に説明できないと言ってる事態で悟っているのかどうなのか怪しいし、人間は絶対?悟れないと思うからである。まあここでいう悟りというのは心の平安を指していることだと思いますが。。悟りっという真理があるとしよう、だけど僕からしてみたら悟りなんって一面的(多面的)な角度からみただけの真理だと思ってしまうのである。まず一面的にこの角度からみたらぜったい四角というものがあるとする、それは違ういい方で言えば二次元の見方、でも三次元(多角的)の見方にしたらそれは長方形になったり、四角推になったりすると思う。隠れているものが見えてくるのである、そのように真理も絶対的に誰にでも当てはまる境地にいけることは難しいと思うのである。もしかしたら4次元、五次元と続く境地があるのかもしれない、そうしたら真理というのは一面的でもあり多面的でもあり、複眼的な視線でみなきゃだし、多層的にいろいろ物事が積み重なっている真理になってくると思うのである。だから物事は常にブラッシュアップできるはずだし、真理を悟りましたといってその時点で自分の思考に終止符を打つことはおかしなことだと思います。だから僕は悟ったとは思えないし、真理を悟ったとかいう人は嘘っぱちだと思っております。そして僕は無価値論の文章の運び時代が無価値だと思ってしまうのである、なぜならちゃんっとした説明になっておらんし、悟りというのは論理的に答えられないと言ってる時点で負けを認めているもののように感じてしまうからである。僕だったら無価値という文章からペンを進めはしない、そういう進め方で進めても結局意味が分からん文章になるからである。それに僕たち俗世間に住んでいる人からしたら無価値じゃ困るんだ。心の平安を得られたからと言って世間ががらりと変わるはずがないんだから。もし皆さんが俗世間から離れてそういう境地にいけたとする、そしたら社会はどうなるんだろう、この世界は仕事をして働いている人がいるから成り立っているのである、極端な話だけどすべての人が物乞いになったら社会がよくなるとはおもえないでしょう?だから僕だったら縛られるのは仕方ないとして、その縛りに縛られるだけではなく、その縛りをほどくような自由な縛りを自分に与えたほうがいいのではないかと思うんです。それはさっきもいったけど美醜を感じる感性に縛られてしまうが、人間の心はそういう表面的な美醜なだけで人を判断しないような心を持ち合わせている。そういう思考を抱くべきであるし、抱いていると思う。ただ美醜の事を短絡的に良い悪いと一面的に見てるようならいつまでたってもそこの不満なり優越なりにとどまり、よくならないと思う。ある古代人の偉人は醜い顔ををしていたという、しかし、その人から紡ぎだされる言葉はものすごく熱く優しかったという、その人の中にすばらしい魂を見たという話があった。それは醜いと思っていたと思うほどその反動でその人が輝くような事である、。それは今でも大いにあることだと思う、また美しいと思っていたものが表面的な美しさだと知ったときに逆の反動が起こるようなこともあるかと思う。それはその人の中の表面的な物だけじゃない部分で判断しているからである。もし俗世間から離れて厳しい修行をしてる人が瞑想の果てに、神通力を手に入れたとする。だからといって僕はその人が世界を変えれるかといえば、答えはNoだと思う。世界を変えるのに重要なのは神通力があるかどうかよりも、現実を五感を駆使して把握しているほうが大切なんではないかと思う。そしてその現実をどういったらうまい方向に持っていけるかを考えてる人の方が世界を変えていけると思う。世界を見る人よりも、世界をいいように作り変えていける人の方が重要なんではないかと思う。現実という言葉は三次元空間の事をさしていますが、神通力を持っている人もそれもそれで現実ではあると思う。その人にとっては、でも僕たちが一番重要で一番の問題は現実(三次元)である、そこを直視して、そこの問題を現実的に紐解けて、その問題を納得するよう答えを紐解けている人の方が、人々は納得すると思いませんか?神通力?に頼って非現実的な事を言ってるような、またはその非現実的(スピリチュアル)な事が現実とどのようにリンクしているかわからんような答えをだしている人は、その信者さんはただ単に盲目的に信じているだけだと思うのである。現実というものが三次元だけじゃなくスピリチュアルな次元を含んでいたとしても、僕はやっぱり三次元の現実を一番に考えるべきであると思う。それに人びとは神通力何っていう眉唾物に盲目的に信じたいと思わないと思うのである。自分のキャパシティーを超える物事を盲目的に信じるのは危険だからである。だから本当に神通力があったとしても、信じる人は限りなく少ないと思うし、そういう人はたとえ本物だとしても、それに傾聴するのは危険だと思う。そして本当に力を持っている人は自分の力を誇示したりしないと思う。または自分だけの力にとどめておかないと思う。現実を良くしている人は、縛りに縛られるだけにとどまるんではなく、自由に考え、その自由は他人の自由を妨げないようなそういう自由な考えを抱いていると思う。、他人の理性(自由)を奪うような考えでないということです。
何かが零れ落ちていく
何かを拾い集めてまた入れてはみるけれど
あっという間に零れ落ちちゃうんだ
でもあの日を境に僕の何かのこぼれるスピードが変わったんだ
最初に戸惑いが起こり、驚き、そして戸惑った
気づいた時には空模様は変わっていた
「ありがとう」っていいたい 「いつもいつもありがとう」って
あなたには触れられないけど、あなたのぬくもりは感じているよ
あの日の前は拾い集めることも苦手だった
そしてすぐに零れ落ちた
でも今は違う いろいろ拾い集めているんだよ
零れるスピードだって変わったんだ
でも でも 零れてしまうんだ 不安だ 今も 
あの時のしこりがまだ消えないでいる
変わらなきゃ 変わっていかなきゃ 重い腰をあげよう
そして これからも......
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

わたしの2017年のおみくじ!

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わたしの2017年のおみくじ結果は・・・

 

 

 

 

 
とにかく笑っとけばいいのか
 
感情を自然に出すの苦手なのよねーん
 
最近ブログの更新頻度が下がっておりますね。配信ばっかで記事書くのしてなかったです。一応、何個か記事をストックしておるんですが、なにもかも中途半端ですね。
 
少し遅れましたが皆さんに一言を
 
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします!