保守とリベラルの狭間で 思想遍歴
保守的な考えやリベラル的な考えの中で考えてた話をまたもう一度したいと思う。そしてそこに至った思想遍歴を語ってみたい。
保守とかリベラルは政治的(人間の立場的)文脈で使っているんだけど、保守は伝統や安全を重視する視点でリベラルは自由•平等•正義などの理念があり進歩主義的な視点を指します。僕の思想遍歴は社会主義的(革命的)な思想から入ってリベラル的な(進歩主義的)な考えに行って保守的な考えに揺れていった。一時は保守的な考えである程度落ち着いたと思っていたけど、でも最近は保守的な考えで安心したりリベラル的な考えを排除するのも違うとまたもう一度揺り戻しがあったので書いてみます。
昔の自分はなぜこの社会は不平等なんだろうっという素朴な視点で見ていて金を持っている人は強く貧乏な人はそこから抜け出せなかったりすることに違和感を持っていた。金や権力や肩書きで人を判断する視点も嫌だった。しかし実際の社会はその人の本質で見る事は少なく属性(付随している物や事•肩書き•学歴•金)で判断されてしまう事が多いと感じ、なぜなのかを考えていたら資本主義のシステムが人を非人道的にさせると革命家が言っている事に魅了され社会主義的な視点に傾斜していった。平等になれば争いも少なくなるし社会が良くなると素朴に思っていた。
個人的に社会主義の実態を知る前に社会主義には負のイメージが付き纏っている事もあり、それは暴力革命で世界を変えようとしていた事だ。社会主義を知った当時の自分はそれは仕方のない膿を出す為に必要な儀式の様に感じていたけど、危険思想の様な部分もある事はわかっていた。
そこでリベラル的(進歩主義的)な考えに行き着くのだが、リベラル的な考えは自由平等正義などの理念がある様に隠れ社会主義的な理想像を持っていてこちらの方に移行していった。革命の様な価値観の転覆ではく漸次的(進歩的)に改善していきましょうという世界観だからマイルドになり受け入れやすいと思っていたしその考えに賛同していた。
しかし社会主義の実態を知った事により(社会主義的•リベラル的•理想的)な考えについて考えざる終えなくなった。実際に社会主義を標榜していた国は理想とかけ離れた世界だと判明したのだ。みんなが平等になるどころか一部の特権階級だけが甘い蜜を吸いその他はみな貧乏、経済は先細り結局嘘に嘘を重ね破綻していったのだ。
社会主義とリベラルは厳密には違うのだけど重なり合う所が多く理想的な視点に傾斜しやすい。リベラルは知っていても社会主義は理解していない人も居るだろうから、社会主義的な考えで見ていないリベラルな人の方が大勢かもしれない。でも重なり合う部分があるのは確かで理想的な世界(自由平等正義)を作ろうとしている事は同じなのだ。
理想は素晴らしい。でも、その理想は現実に実現できるのか。そこを考えていくうちに、自分自身の振る舞いにも目が向くようになった。リベラル的な視点は、保守的な視点に比べて進歩主義的だと思う。ただ、その正しさは現実に根ざすというより、頭の上で組み立てられた理想に寄りやすいのではないか、と感じるようになった。自分が出来ても周りがそれについてこれるか?について現実感が欠けていると思う様になっていた。自分が出来ても周りが出来ない、周りが出来なきゃ自分もできないこの状態に陥っていると思う様になったのだ。もっと言えば自分が出来ると思っていても実際は周りが出来なきゃ自分もできない、いや理想を言ってるだけで鼻から出来ていないのではないか?実際リベラル的な考えは進歩主義的すぎて知行合一(実際の行動と言動が一致)が難しいと思う様になったのだ。
だからリベラル的な考えから劇的な揺り戻しがあって保守的な伝統や安全を重んじる考えに変わっていった。この考えの中で落ち着くとも思っていた。しかし最近になって保守とリベラルは対立する考えではなく相補的に自分の中で咀嚼するものではないかと思っていく様になったのだ。
保守的な考えは伝統や安全に注意を向けて社会を修正•改善する視点が強い、だから知行合一は比較的しやすいのだけど、その分修正や改善が遅かったり、保守一辺倒な人だった場合は昔の考え方に凝り固まった改善方法に止まってしまう。
僕たちの思考は保守的な考え方も持っているしリベラル的な考えも持っているのが自然で、もし周りの人達が保守一辺倒だったりリベラル一辺倒な世界だと社会は進歩しづらかったり混乱をきたす様になると思うのだ。どちらもある事が重要で、どちらかが客観的に正しいと言えないのではないか?
そして人間(社会)についての正しさというのは人間を離れて客観的に存在しているわけじゃない。誰かが絶対確実な正しさを持っている訳でもない。人間(社会)についての正しさは社会の営みがあり、その中で色々な考えがあって、それを考慮に入れて答えを出していると思うのだ。その出した答えは全てを知りえて出せるはずもないから常に揺れるのが自然で、今分かる範囲の中で言うことしかできない。答えとは色々な考え方が支えになって作り上げるし(色々な考えは必要で)、人々が抱く色々な考え方も固定した考えではなく常に揺れ動く。常識が変われば、世間(民族)の考え方が変わればおのずと出す答えも変わるのだ。社会情勢や価値観色々考慮に入れながら答えを出していくしかない。答えは固定化して(客観的に)ある訳じゃないのだ。
『歴史から考えた事』
産業革命以後の世界観は今と比べ物にならないぐらい貧富の差(人々の扱われ方)が激しかった。社会保障や税収などの問題も乏しく資本家と労働家では歴然とした差があった。機械化進み、職人さん達の手仕事は奪われた。職人さん達は機械をぶっ壊そうとするストライキも起こった具合だ。でも実際は技術の進歩や大量生産•低コストにより産業革命の機械化の方が勝利をおさめた。その後フランス革命が起こった。今度は技術の革命ではなく人間についての革命と言いましょうか?民衆やブルジョワの間の政治的変動をを起こそうとして民衆が立ち上がったのだ。いっときは勝利を収めたが結局はうまくいかなかった。価値観や社会をガラッと変えるのは危険だという保守思想の父と呼ばれている人がフランス革命を批判したりもしていた。
それでもそこから少し経ち社会主義的な革命が産まれた。こちらも人間についての革命だ。しかしこちらも失敗した。人間についての革命は失敗の連続だ。理想と現実を調停する事は難しくブルジョワジー(資本家)を打倒する事はできなかった。それでも社会主義者は潜在的に勢力を伸ばしていった。資本主義的な保守勢力と虎視眈々と社会を変えようとする社会主義的な勢力があるのだが社会主義は危険な思想だと思う人もおり、実際に暴力革命を起こそうとしている部分もあり時の首相は社会主義者を弾圧する方向に傾いていた。資本主義の問題点も改善する為に社会保障を取り入れる様になった。資本主義はその後もなんども修正をしていき今に至るのだが、今の人たちは修正資本主義的な世界観の方がまだベターなんではないかと思うに至った様に思える。20世紀に成立した国家社会主義体制の多くは、理想と現実の乖離を抱え、権力集中や経済停滞の問題を深刻化させたからである。
だからと言って修正資本主義が全て正しい訳ではなく今だって貧富の格差が非常に拡大していったりしているし、富める人は富みやすく、貧しい人は貧しいままの世界観の中で日々暮らしているのだ。資本主義的な世界観の中では金が持っている人が強く、人間性よりも物質的な豊かさの方が立場を得やすくなっているのだ。
資本主義社会の中で少しずつ価値観の変容が起きていると思っていて、昔は金や肩書き、学歴、容姿などの属性で人を判断する傾向があったけど、今はインフルエンサー的な影響力がある人にも陽の目が当たる様になってきた。肩書きや学歴の様な属性的な部分ではなくその人の内面的な魅力に人がつく様になったのだ。これは少し進歩していると思うのだけど、インフルエンサー的な人たちも資本主義的な手のひらの中で転がされていて、人が集まれば広告が付き、収益が生まれる。再生数がある(影響力がある)から広告(会社)が儲かりその人達の中でウィンウィンになる様になっている。
個人的に今の社会は昔の様な人間性より物質的な豊かさを重視していた社会から少し内面的な部分にも着目する様になってきていると思うけども、影響力がものをいう世界で、目立ってナンボだったり、強引な価値観の人たちがインフルエンサーになっている事が多い。しかし探せば魅力的な内面の人も居る事は確かだしそう言う人に陽の目が当たる事は良い事だと感じる。
『技術革命と人間の革命』
革命とは起こるものなのか?起こるとしたらどの部分なのか?起こるべくして起こる革命と起こしては危険な革命を分けて考えてみた。
上記の部分に書いたけど技術的な革命は成功を収めている、そこには苦しみや痛みも含んでいるが産業革命は一応は革命を起こせた。今の社会で言えばIT革命もそうである様に感じる。IT革命が起こった時、厳密にはIT(インフォメーションテクノロジー)が芽吹いた時、人々は訝しい目でそれを見ていた様に感じる。ある人は胡散臭い、オタクがやるもの、心が伴っていないなど色々な負のイメージがあった。ITができた頃はそういうイメージだったのだ。IT産業(通販)なるものも生まれた時も、産業革命の時の職人さんの様に実際に顔を見て真心込めて売るもので、ネットみたいにどこの誰だかわからんやつに売るなんって商売を冒涜していると思っている人たちも多かった。実際にその意見もわかるし、産業革命の時の職人さんも自分の腕にプライドを持っていたことと通じる部分がある。でも社会の流れは産業革命やIT革命を支持した。
技術的に便利になること、物が安く買える様になること、そこに合理性があり無駄を省ける事の方が社会の人達の支持が潜在的(顕在的)には多かったのだ。そこにはもちろん不満を持つ人もいる、痛みを感じる人もいる。でも社会は産業革命やIT革命を支持する方向に向かった。
今は(生成)AI革命が起きている。今まで人間が産み落とした考えや思想や意味をAIが大量に集めて理解して瞬時に答えを出す様になった。AI革命は人々の社会のあり方を変えるものすごいパワーがあると思っていてうまく使えれば社会の構造すらも書き換えれるのじゃないかと思う。難しい問題を一緒になって考えてくれたり(答えを与えたり)誰でも出来る仕事(AIができる仕事)を代替してやってくれる様になる事で、仕事から解放される可能性を秘めている。社会がAIで仕事を補ってくれればベーシックインカムもできる可能性を秘めている。制度や仕組みが構築できればである。浮いた時間で創造的な社会活動や趣味に力をそそげる様になる。ベーシックインカム(最低賃金(保障))が普及すれば社会に蔓延している不平等や不満、いじめ、などは劇的に減少すると思われる。ベーシックインカムはできる場合段階があると思われるがAIが進歩すればするほどできる可能性を秘めている。
だからAI革命が成功すれば資本主義経済もまた新しい価値観を創造しやすくなると思われる。もちろんAI革命には問題はつきものだからAIに頼りきったり、AIのファクトチェックを怠ったり、AIが進歩すればするほど真実と嘘が見分けがつかなくなり踊らされない様に個人的な視点もアップデートしないといけない。AIの進歩も常に監視するべきで盲目的に全肯定は危険であると思われる。
危険な革命は人間の社会を劇的(暴力的)に変える思想である。フランス革命や社会主義(暴力的な)などの革命は実質失敗した。理想は素晴らしいが人々の価値観を劇的に変える事がすごく難しい事だった。社会の人達の考え、他人や自分の考えを変えると言う事は理想があっても難しい事だと歴史が教えた。個人的にもそう思う様になった。そう思う理由は書くと長くなるからここでは書かない様にする。人にはその人に合った問題があり、その問題を被る事はできない事の方が多い。理想で覆い尽くす事はできないのだ。北欧諸国のように、資本主義を土台としながら社会民主主義的な福祉国家を成立させた例もある。
『保守とリベラルはどう向き合うべきか』
日本の社会構造を見た時リベラル的な考え方より保守的な考え方で進んでいったように思える、資本主義経済の中でバブルに突入して給料や福利厚生などを拡張したり終身雇用制度を採用して安心する様な政策を施せた。バブルとは土地や固定資産が膨れ上がる事によってそれを持っている人は金持ちになり、土地や固定資産を買っとけば価値が上がるもので人々の考え的にも楽観主義的な気風があり実際バブルが崩壊するまでそういう視点で社会は動いていた。イケイケだった時代が終わり保守的な政策にも翳りが見えてくるようになった。
今の制度や仕組みはまだ保守的(伝統的な視点)だと思っていてそれは①年功序列の名残がある②安定志向③大企業中心④失敗しない文化が重要だからである。少し足すと資本主義経済の世界観
しかし個人的な価値観はリベラル的(自由平等正義)な考えに変化を起こしている。①多様性を重んじる様になった②自由に動きたい③個人重視(大企業への政策優先に疑念)④やりたい事をしたい(できれば失敗したくないけど)と意識はリベラル化していった。潜在的には社会主義に通じる部分もある≠だけど
でも人間の状態はまだ不完全というか中途半端な状態で保守的な仕組みの中でリベラル化に至っている。自由になりたいが責任を取る事に対する不安があり安定も欲しいという考えで両方欲する様になった。しかも今現在の社会は安定が揺らいでいて終身雇用制度も事実上崩れていった。逆説的だか安定がなくなった事によってリベラル化が浸透していった。でもリベラル化しても安定は欲しい、この状態の中で思想はリベラルだが立場上保守的な考えに留まる人が多くなった。
個人的にリベラルでその人が主体的に行動ができ自立して責任を持てていれば問題はない。でもリベラルな社会にする為にはどうしても人々の自立や社会の構造がやりたい事をやりたい様にできる事、また問題を自分たちで対処できる様になる事が大前提として必要なんではないだろうか?それが出来ていない状態のままリベラル的な政策を施しても、実際の変化につながらず、素通りして結局理想主義的な政策だよね、頭でっかちだよねという謗りで終わってしまう様に感じるのだ。
この様に保守的(伝統や安全)な政策は昔は機能していた、しかし今は保守的な考え方が全てではない。伝統や安全を守るのは安心ではあるだろうし、安全策をとった修正や改善策も知行合一はしやすい。しかしだからと言ってリベラルな考えも必要ないかと言ったらそうではない。
多様性や自由を一つとってみてもそれが機能できるのは安定の基があるから機能している。だから保守的な考えは大事だが、多様性や自由を考えることも大切だし、資本主義の負の面の労働者は歯車の様に働かせる社会に問題を持つことも大事だ。だから保守やリベラルはどっちか一辺倒が正しい訳じゃないと思うのだ。
保守とリベラルのどちらかに答えを固定するのではなく、社会の現実と人間の状態を見ながら考え続けることが必要だと思う。
今回の文章最後まで読み通して(理解して)もらえるかわからないけど自分の思想遍歴を語ってみた。僕の文章はまだまだ改善の余地がある荒削りな文章だと思う。でも自分の言葉で一所懸命書きました。難しかったり分かりづらいかもしれないが最後まで読んでもらえると嬉しいです。少しでもハッとしたりひらめく部分があれば書いてよかったと思います。興味有男でした!