波多野一郎
大正11年(1922)生まれ、早稲田大学在学中に学徒兵として召集され、
南満州で一年間の飛行訓練の後、1ヶ月の自爆訓練がありついに特別攻撃の命令が下る。
ところが
明日出陣という前日、ソ連が満州国境から侵入を開始、出撃命令は中止された。
ひと足さきに飛び立った部隊は全員玉砕されたが
彼の属する隊はわずか数時間の差で生き残った。
その後ソ連軍の捕虜となった波多野一郎はシベリアに送られそこで4年間の強制重労働に服することに。
捕虜となった兵隊の行進は凍結した黒龍江を渡りシベリアまで
第二次大戦は終わりました、しかし捕虜となった者たちにとってはもう一つの戦争が始まったのです。
シベリアでは炭鉱の中の重労働、それから飢えと零下40度の寒さ、
それに加えて共産主義の教育です。
終戦後4年にしてようやく故国、日本への帰還が許されました。
昭和24年(1949)彼はシベリアから生還するとその2年後に
アメリカに留学
なぜ命からがら帰国したのにアメリカ留学したのか?
その経緯は波多野一郎氏の著書『イカの哲学』に詳しく書かれています。
カリフォルニアの港町で学んだ事を主人公を大助君として彼の経験を書いたのがこの
『イカの哲学』です
主人公、大助君はアメリカ・スタンフォード大学の留学生。
大学院で哲学を専攻しています。
彼は私立大学の高い授業料を稼ぐために
夏休みのアルバイトとして
太平洋岸の魚河岸の臨時雇い人夫として働くためにモントレーに行きました。
大助君の仕事は毎朝、暗いうちに起きて彼の主人と一緒に港に向かいそこで大助くんの主人が約6、7トンのイカを買います。
それらのイカはモントレーの沖合で漁師の網にかかって獲れたものです。
大助君は主人を手伝ってその買ったばかりのイカをトラックに積み込みます。
大助君と主人は日の出前に彼の主人が所有する魚の包装並びに冷凍のための設備まで運びます。
そこでトラックの積荷のイカをおろし、氷で冷やした真水につけて注意深く包装される前に綺麗に洗わなくたはなりません。
汚れたイカが入っているとせっかくの商品価値がなくなってしまうのです。
朝食をとり少しの休息の後、イカを箱詰めにする作業が始まります。
大助君の仕事は水槽からイカを掬いコンベアーに載せるのです。
するとコンベアーの両端に並んだ女性たちがイカを箱詰めにします。
この作業が一日中繰り返されてひとつの水槽が空になると隣の水槽へ次々と移っていきついに全部の水槽が空っぽになると6、7トンのイカはすでに包装並びに冷凍処理が終わって冷凍倉庫の中に収まります。
日によってはこの作業が10時間もかかることがありました。
この作業時間の長短は海で取れるイカの量次第です。
大助君がコンベアーに乗せられているイカ達の面を、チラッと眺めました。
するとイカ達も又、うらめしそうな顔つきで大助君を見つめているではありませんか!
この瞬間、大助君はふと、次のようなことをひとりで考えてみるのでした。
これら、イカ達が捕獲される前に大洋で棲息している時、
海の中では大きな集団で遊弋しいて、
彼らは彼らなりの生活をしていたに違いないのだ。
即ち、彼らの喜びも悲しみもあろう、たとえそれらが全く下等なたぐいにせよ。
空想は更に進展して、これら生きているイカ達が漁師の網にかかって獲られるその瞬間にまで及んだのでした。大輔君は漁師の網が、丁度うまくイカの群れに出会ったら人網で数トンのイカがとれると言う話をある漁師から聞いたことがありました。
大助君はこれらのイカ達に同情しました。
もしイカ達が漁師の近くにやってきて
『後生だからどうぞこのままお助けください、お願いです』
と叫んで命乞いを始めたら、一体、どういうことになるだろう。
あの荒くれ漁師でさえこのイカたちの上に網をながかけることはもう二度とできないだろう。
うん、そうだそれと同じことが人間界の中で起こったのだ。
丁度、漁網がイカ達の頭上に投げられた如く、原子爆弾は広島及び長崎の上空で爆発したのだ。
それでは原子爆弾や戦争は漁業と同じことなのだろか?
否、それは同じことではない。
戦争は食べるために殺すのではない!
では一体何が戦争の原因なんだろう?
そうだ!!
思想の相違が戦争の原因であるのだ!
大切なことは実存を知り且つ、感じることだ。
たとえそれが一杯のイカのごくつまらぬ存在であろうともその小さな生あるものの実存を感知することが大事なのだ。
このことを発展させると、遠い距離にある異国に住む人の実存を知覚するということが大事なことなのだ.
今や、大輔君は毎日、数万のイカとの対面を続けている中に、世界平和のための鍵を見つけ出したのであります。
相異なった文化を持って、異なった社会に住む人々がお互いの実存に触れ合うということが
世界平和の鍵なのです
ここにおいて大助君は遂に世界平和の鍵はお互いに相手の実存をよく認め合う事であると
結論したのであります。
大助君は遂に太平洋岸において、充実した夏季2ヶ月間のアルバイトを楽しみながら完了しました。
彼はそこで得たお金、6百ドルばかりでなく、世界平和の鍵となる哲学を得たことにおいてもイカに大して深い感謝の念を持っているのであります。
彼、大助君はこの地でお世話になった人々並びにイカ諸氏に心のそこからお礼を述べてモントレー港去りました。
ほら、ご覧ください。
彼の緑色のオンボロ車は国道101号線をスタンフォード大学に向かって走っているではありませんか。
波多野一郎氏はシベリアの過酷な労働のため34歳で脳腫瘍を発症、46歳で亡くなりました。
数年前に読んだ、『イカの哲学』
特攻隊を主人公にした、映画「『永遠のゼロ』、『あの花が咲く丘で君とまた会えたら』
また、シベリアの収容所を描いた『ラーゲリより愛を込めて』
などのポスターを見る度にこの30ページほどの論文を思い出します。
この本は薄っぺらな平和論ではなく生きた地獄を乗り越えたの者の呼びかけに聞こえます。
今日の料理
クリストシュトレン
ご訪問ありがとうございました。
今年最後のブログになりました。
「いいね」やコメントをたくさんありがとうございました。
来年もよろしくお願いします
写真;しらさぎ二郎
イラスト、料理;しらさぎさやか
文;しらさぎさちこ