専門家

 

当たり前ですが,専門医とは 特定の医学分野に非常に詳しい医師です.ですが,専門以外の領分には あまり詳しくありません. この結果,ある患者の症状を診た時,専門医は【自分の専門の範囲内だけで】診断する傾向があります.

頭痛と発熱を訴えて来院した患者に;

 

  • 糖尿病専門医: それは糖尿病性ケトアシドーシス です.
  • 整形外科専門医:それは頸椎化膿性脊椎炎ですね.
  • 循環器専門医:これは心不全の前兆ですな.
  • 感染症専門医:西ナイル熱の可能性があります.
訳がわからなくなって とりあえず帰宅したら;
  • 隣のおばさん:それ,ただの風邪だよ.

まあ,これは冗談ですが,『専門家は,あらゆることを 自分の専門領域の言葉だけで説明しようとする』という傾向は,医学に限らず他の分野でもそうです.
 
考古学の専門家

何が言いたいのかといいますと,従来 日本に16万基もある古墳(これは全国のコンビニのほぼ3倍です)が作られた理由について,考古学者はこう説明してきました.
 
  • その地域の首長(王)が死亡した後,当該地域の民を動員して 墓を作らせた. これが全国の古墳である.
 
しかし,そうだとすると,この記事に書いたように;
 
その地域で身分の高い人の墓なのに,その方向がてんでバラバラなのは失礼ではないか
 
という疑問が生じます. この疑問に対する答えを考古学の専門書などから探してみましたが まったく見当たりません.
せいぜい『当時の呪術的宗教の結果かもしれない』とのみ推測しているだけです. これは仏教が日本に伝来した頃と 古墳が作られなくなった時期とがほぼ一致していることからの【推定】であって,証明されたわけではありません.考古学者が宗教の専門家とは思えませんから,説明に窮してそう言っているだけでしょう.
 
また長年の謎2にも書きましたように;
 
古墳は どうして平地を見下ろすやや小高い位置につくられているのか
 
に対して 考古学の専門家は こう答えます.
  • 地域の首長の墓なのだから 領地を見下ろす場所に作った
  • 海外からの(当時は主に 朝鮮半島からの)使節が来た時に 大和政権の威容をアピールするために作った
などという【推測】が出されております.

後者は仁徳天皇陵(大仙古墳)などの大阪湾に面した巨大古墳のことを指しています.
朝鮮半島国家からの使節が 玄界灘・瀬戸内海を経て大阪湾に到着した時,『どうだ,デカいだろ? 大和国家はすごいだろ?』と 驚かせるためだったという説もあるのですが(東アジアと連動していた百舌鳥・古市古墳群 ) ,それなら朝鮮半島からの使節が最初に到着する博多湾あたりに作ってもよかったのではないかと思います. 
 
さらに言えば,海外からの使節は 飛行機で来て空から古墳を見下ろすのではなく,船で来て海上から見上げるのです. 今でこそ我々は仁徳天皇陵が全長486m,総面積 46万4千m2の広大な古墳であることを知っていますが;
 
 
ですが当時の人にそんな「予備知識」はありません.つまり単に大阪湾から眺めただけでは『広くて大きい』とは見えないでしょう.なんだか小高い丘がある,とただそれだけです. 今でも 仁徳天皇陵の目の前に立っても,単に お濠と森しか見えません.
 
なので そのような目的であれば,デカく作るよりは高く作った方が見栄えがするでしょう.つまりあれだけの面積にした意味がない.しかも『海外の使節を驚かせる』たったそれだけが目的で,延べ680万人もの労力を動員し 15年以上の年月を費やした(注)とは信じがたい.もっと絢爛豪華な建築物を 多数作っても良かったのではないかと思えます.
要するに全然説明になっていないのです.
 
(注)  1985年 大林組試算[PDF]による
 
以上のことから,これは冒頭の『専門医は その分野の病気しかわからない』と同じ現象ではないでしょうか?
つまり考古学者がなんとか想像力を振り絞って 考古学の範囲だけですべてを説明しようとしている,だからにわかには信じがたい,かなり無理のある説明ばかりになってしまったのでは?

逆に他の分野の人から見れば,上記の古墳の謎は 実はあっさりと明快に説明できるのではないかと思えます.