どもども、わたしです。
お風呂が治りました!!!!
こないだからボイラーの火が強くならなくて温かい風呂に入れなくなりまして、
今年は冬越えれるかなーとか思って修理待ってたらこないだやっと治りました。
温泉入りたいですねぇ。
関東来ましたけど、鬼怒川温泉とかあの辺の温泉ひとっつも行ってないんですよね。
卒業までに友人誘って行きたいものです。
季節も二十四節気ではついに「立冬」になりました。
木枯らしが吹き、木の葉が落ち、家では「こたつ開き」の時期だそうな。
こたつほしいなぁ…
七十二侯では初侯「山茶始開(つばきはじめてひらく)」ですが、「山茶花」とはサザンカのことです。
サザンカとツバキ、咲く時期も近く、同じ花弁の多い大きな花を咲かせますから、
小さい頃は違いが判りませんでした。
せいぜい、家の庭に咲いているのが「サザンカ」で、花ごと落ちてしまうのがツバキと覚えてました。
現在もそのくらいの認識しかしてません。
さて今回の記事ですが、前回紹介した美濃国一宮、南宮大社で行われる特殊神事
「金山祭(かなやまさい)」について書いていきます。
南宮大社の御祭神である金山彦神が金の神、鉱山の神として信仰されているのは前回の記事で紹介しました。
金山祭は通称「ふいご祭り」とも呼ばれ、地元の野鍛冶(農具など鍛冶屋さん)の奉仕によって行われる「鍛錬式」が大きな特徴です。
この祭りは11月8日に行われるのですが、その由来は、
御祭神が府中の地から、南宮山のふもとの地に鎮座した日が11月9日であり、この「金山祭」は鎮座の前夜祭、または神迎えの神事と考えられているようです。
朝九時の時点で、境内中央の高舞殿に四角い木の箱のようなものが置いてあり、そのそばでおじいちゃんが袋に詰まった木炭をざらざらとくぼんだ石の横に流し込んだりして準備を始めます。
そして10時30分、高舞殿中央から見た右側に、神職が三人座り、向かいには白丁のような装束を着た男性が3人座ります。
その後方に楽人が並んで座り、祭典が始まりました。
はじめは他の祭事と同じく修祓から入りますが、大麻で神職、向かいの伶人、そして中央の謎の器具を払うと、
大麻諸役が祓主に祓案にあった石を手渡します。
受け取った祓主は器具のもとへ行くと、石をカンカンと鳴らします。どうやらこれは火打石のようです。
時代劇などで出かける亭主に奥さんが火打石を打つ場面を見たことがあると思いますが、
あれは切り火(鑽火)といって火打石によって起きた火花で厄を払う、身を清めるといった魔よけの意味で行われていた風習です。
「鑽火」といえば熊野大社の「鑽火祭」を思い出しますね。
「火」が神聖なものという認識が一般の人たちにも浸透していたということですね。
そして火打石祓案に戻し、祓主が自座に就き、祭主が一拝を済ませると、祭典が始まります。
雅楽が奏楽され、向かいに座っていた伶人三名が謎の器具の前へ進み出ます。
この三人こそこの鍛錬式を行う野鍛冶の方々で、炭を入れて謎の器具を動かし始めます。
この謎の器具こそ、この神事の通称にもなっている「鞴(ふいご)」でしょう。
この鞴を押したり引いたりしていくことで、中央の日がどんどん大きくなります。
そして金属の塊を入れるとこの火に細かい火花が混じっているのがわかります。
そして熱された鉄を取り出し、金槌を持った男性二人が鉄をリズム良く叩きます。
この鉄をたたく音がとても迫力があり、目の前で刀が作られていくのがわかります。
途中で途中で打っていた鉄を取り出し、別に用意された細長い形の鉄を火に入れます。
実際の刀の鍛錬はもっと時間を要するでしょうから省略の形なのでしょうね。
何度も金槌でたたいて最後、仕上げとして曲がりなどをたたいて整えると、
野鍛冶の皆さんが自座に戻り、祭員の一人がその打ち刀を三方に乗せて野鍛冶の皆さんと共に退下し、社殿へ上ります。
その後、高舞殿で蘭陵王が奉納され、高舞殿での祭事は終了となります。
刀は神前へ供えられ、祝詞奏上、玉串奉奠をもって、金山祭が終了となります。
いかがだったでしょうか。
神社で刀を鍛錬する神事はほかでなかなか行われているものではないでしょう。
そして地方にはこのような固有の神事が行われていることに関して、
日本文化の独自の発展と、奥深さを感じました。
そういえば私がお世話になっている某神社の宮司さんも氏子地域での鞴祭の話をしていましたね。
一般の神社でも、地鎮祭など同じように雑祭として行われているのでしょうか。
とにかく、夕方から大学がある日付にもかかわらず、行った甲斐がありました。
ちなみに授業は全部ちゃんと出ました。
今後もこのような特殊神事、お伝えできたらと思っておりますので
期待して待っていただけると嬉しいです。
では今回はこの辺で。
次回の記事は決めていませんが、次侯で投稿を目指します。
今回も読んでいただきありがとうございました!