こんにちは白川です。
11月になりましたね。
朝夕は涼しいを通り越して寒いレベルになってきたので冬服出そうかなとは思うんですが、
昼がまだ割と温かめなので、暑がりな自分としてはまだ秋物着てたりしてます。
というか冬辛いのは
部屋が年中日陰でクソ寒い。
毛布買おうとは毎回思ってたりするんですけど結局買わなかったなぁ。
むしろ毛布買ったら布団から出てこれなくて外出しなさそうなので買わなくて良かった説。
気づけば季節も「霜降」の末候「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」になりました。
字の通り紅葉間近ですね。
これだけ神社行ってるんですから、紅葉のきれいな神社も行きたいですね。
自分も若いんでインスタ映えとか大事だったり。
という感じで、今回は美濃国一宮、南宮大社へ行ってきました。
北部は飛騨国で、高山市を中心としている高山地帯です。
こちらの一宮は前回行きましたね。
読んでくださった方はありがとうございます。
由緒は上の写真に。
『延喜式神名帳』には名神大社「仲山金山彦神社」として記載され、
明治の近代社格制度では国幣大社、戦後は神社本庁の別表神社となりました。
『延喜式内神名帳』記載の名前が違いますが、これは美濃国の国府の南方に鎮座していたことから「南宮」と改称したそうです。
ちなみに最寄り駅は「垂井駅」というんですが、名古屋側の1つ前の駅が「関ヶ原」といいます。
ええ、あの関ヶ原です。
しかもその関ヶ原合戦の戦火で一度燃えてしまってます。
どこの神社も大概戦火で燃えてるせいで、創建時から残っている神社ってほんと少ないんですよね…勿体ない。
そのため、岐阜県近郊には南宮神社が多数鎮座しています。
この金山彦命を祀る神社は他に京都の御金神社や、宮城の黄金山神社があります。
どの神社も金の神、鉱山の神というのは共通ですが、「金」の指す対象が少し違い、黄金山神社は金(GOLD)ですが、ここ南宮大社は金属を指します。
また鍛治屋も信仰の対象としていたため、奉納品を展示した宝物殿には刀や鉾先があります。
開館してたので入りましたが、美濃国なのでやはり和泉守兼定の作品がありました。
いいですよね刀剣。
前に広島でエヴァンゲリオンと刀匠がコラボした展示会があって観に行ったんですけど、
刀の反りとか波紋とか、またその柄や鍔、武器なはずなのにもう芸術品ですよね。
刀剣乱舞やってる人は是非。兼定出てるか知らんけど
そのエヴァコラボの展示会でスタッフの人に女性の観客増えたって話聞いたけど絶対とうらぶの影響だよね。
この写真とかみて気づいてると思うんですけど、参拝した11/3の前日に、式年遷宮がありました。
遷宮とはいいますが、伊勢の神宮みたいに社殿丸ごと作り変えるのではなく、部分修繕をする形式のものです。
式年の期間はなんと51年に一度!!
半世紀に一回ってのはすごいですね。
なんか元々は伊勢と同じく20年だったみたいですが、室町時代に50年になったそうです。
そのことを知ったのが10月の末、僕はすぐに岐阜へ行く準備をしました。
もともと行く予定だったニコニコ超パーティーもVtuberが出てるってことで行く気があんまなかったので即決定しました。
遷宮当日も行きたかったですがやはり大祭なので、中に入れなかったようです。
なので今回は主に11/3の内容について書いていきます。
遷宮は昨日でしたが、本庁幣の献幣は今日行われました。
そして神前で陵王が奉納されていました。
祭典時の奏楽の時からですが、雅楽が上手であると感じました。
さすが一宮力入ってるー。
そしてスケジュール通り、12時から様々な奉納神事が始まりました。
まずは南宮大社摂社、伊富岐神社に伝わる伊吹神楽です。
伊富岐神社は同じ不破郡にある式内社で、美濃国二宮です。
伊吹山を神体山としており、伊吹山大明神として信仰していますが、表向きの祭神は多々美彦命となっています。
『古事記』ではこの伊吹山大明神に日本武尊は敗北し、この時の怪我が原因で亡くなります。
あとパライソさんの宝具です。
面白いのが獅子が風流系と伎楽系と切り替わるんですね。
風流系といってもどっちかというと頭が獅子の人間型ですけど。
しかもこの神楽奉納終わった後、獅子舞をしていた人がこの頭だけかぶった状態で下降りてきて、参拝者たちの頭を咬んで回ります。
頭咬まれるのは縁起がいいってよく言われてますね。
お稚児さんめっちゃいる。
ウェブサイトで申し込みしてましたけど、こんなに集まってるのには驚きました。
疲れて泣いてる子めっちゃいたけど。
そしてこの日もう1つあった神楽奉納が、石巻市釣石神社の「法印神楽」です。
釣石神社は宮城県石巻市の新北上川のそばに鎮座する神社で、落ちそうで落ちない石を祀っている神社です。
めっちゃ気になりますよね落ちない石。
宮城行ったら寄ってみます。
この神楽は日本武尊をメインとした演目で、やはりその日本神話屈指の武勇伝なためかかなり過激な動きの多い神楽でした。
伊富岐神社と因縁を感じますね。
ようつべに3つくらい上げときます。
どうやらこの釣石神社、2011年の震災の時南宮大社から復興の援助をしてもらったらしく、今回はお礼奉納、という形になるのでしょうかり
観てる方に集中しててあんま撮ってないけど。
参拝した3日はこんな感じでした。
4日には飛騨国一宮水無神社の「闘鶏楽」が奉納されたみたいですね。
こっちは本場で見てきましたね。
カウベルって言ったやつ奥宮呼び出しのやつです。
夜行バスで名古屋に着いて、早い時間から神社でスタンバッてましたけど、やはり50年に一度ということで氏子さんも運営のためかなり忙しく懸命に準備をしてました。
次の遷宮祭の頃には20代の若者も70歳のおじいちゃんになってるでしょうが、それでもずっと続けられてきたその裏には、
神職以上に氏子さんの努力の甲斐あってのものであると感じます。
次にある頃には自分も老体でしょうが、風の便りでまた式年遷宮斎行の話が聞けることを願いまして、
今日は締めたいと思います。
それではまた次回。次はかなり近いうちに投稿になると思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。