白河清周の脱線する話 -2ページ目

白河清周の脱線する話

思っている事、笑い、怒りを書き綴ります。

わたしの場合、運動そのものが嫌いなのだが、嫌いなのは学校の体育の授業であって、運動そのものは嫌いではないと大人になって分かったという人がいる。

 

「運動が嫌い」と思っている人は実は「学校の体育教育が嫌い」なだけかも?共感の声が多数集まるTL

学校というものは、本質的に国家の暴力装置なのだ。

 

ところで、なぜ、運動会って、あんなに「練習」をする必要があるのだろう。9月になると練習漬けで、普通の授業が削られる。練習など抜きのぶっつけ本番だと何が悪い。9月を練習のために潰「さなくてはならない」理由は何?

 

小学生の頃。地域の子ども会に、半強制的に入らされて、ソフトボールをやれという。やりたくないなら、マネージャーでもいいから参加しろと。

 

マネージャーだろうが、興味が全く持てないことを無理やりやらされて、いい気持ちがするわけがないではないか。もう行かなかったけど。

 

子ども会なんて、任意参加の共同体じゃないか。連帯感? 学校の体育の授業だけでは不十分なわけ? それはどういう理屈で?

 

なぜ、「ソフトボール」「でなければならない」のか? 「電気機関車写生大会」ではダメなの?

 

(小学生の頃から、そんな醒めた考え方をしていた)

 

おそらく、皆が好きそうな事を最大公約数的に取れば、「ソフトボール」になったのだろうが、それがたまらなく嫌な奴だっている。

 

(ついでに余談ながら、わたしは寿司が嫌い。生魚じゃなくて酢飯がダメだから、巻き寿司だろうが稲荷寿司だろうが寿司全般ダメ。だから恵方巻なんてよその星のイベント。世間には、そんな奴だっている)

 

これは、「これで運動嫌いになった」というよりも、「元々嫌いだったのが強制された結果、輪をかけて嫌になった」という話だな。

 

YouTubeを徘徊していて、中国の体操学校の映像を見つけた。泣けてくるぐらい苛酷なトレーニングをしている。小学校低学年くらいの子どもが、大人のコーチに体を押さえつけられて開脚させられて、泣いて歯を食いしばって堪えている。中国のアスリートは国威発揚の使命を国家から課せられた「ステート・アマ」であり、オリンピックや世界選手権でメダルを取れば、庶民は到底手に出来ないような大金を手にする事が出来るのだから、われわれ日本人の感覚で考えてはいけないのだろうが。

 

器械体操でいえば、わたしの知り合いだが、学校では体操部が廃部になってしまって体操をやりたいという希望がかなえられず、大人になってから社会人クラブを見つけて熱中しているという人がいる。こういう人こそ、ジャンルは違えど「趣味人」として敬愛出来る。

 

好きでやる事は続けられる、嫌々やらされた事は身につかないということは身をもって感じている。受験勉強で丸暗記した事は試験が終われば綺麗さっぱり忘れるが、趣味で学んだ知識は一生モノ。

 

お子さんには好きな事をやらせてあげよう。一見役にたたなそうな知識でも、それが役に立つときが必ず来る。

 

近頃、「ブラック部活」なる言葉がニュースで取り上げられる事が増えた。これは二つの意味があるが、一つは生徒にとってのブラック、すなわち苛烈な練習漬け。もう一つは教師にとってのブラック、競技未経験者だろうが無理やり顧問をさせられて、土日も遠征漬けで休めない。

 

こんな体質は昔から変わっていないが、なぜ今まで誰も声を上げなかったのだろうと思うのだ。

「管理教育」から学んだもの。それはこの言葉。

権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。(ジョン・アクトン)

昔の学校の職員室は、タバコの煙が立ち込めていた。生徒がタバコを吸えば大変な事になるなるのに、あれは何なのか?

 

もちろん、未成年者の喫煙が禁止されていて、成人の喫煙は認められていることは知っている。しかし、家で吸うのはかまわないが、学校にいる間くらい我慢しろと、あれを見てずっと思っていた。

 

調べると、国が学校内は全面禁煙にすべきと見解を出したのが95年だというから、遅れすぎているではないか。職員室は無論、学校の敷地内全面禁煙、それが当たり前。

 

わたしはこの歳まで、タバコは一度たりとも吸ったことがない。

 

亡き父親が喘息で苦しんでいて、タバコを吸うとああなるのかと、頭にこびりついていたから。ギャンブル嫌いも父から受け継いだが、酒飲みは受け継がなかった。わたしは酒すら飲まないから。

 

 

ある世代のファンなら、「ケイブンシャの大百科」や「コロタン文庫」は必ず通ってきた道だろう。
小学生の頃、同級生に、Nゲージとともに見せられたのが、『鉄道模型大百科』だった。レイアウトの製作(プラスターで山を作ったりとか)やグリーンマックスのキットの組み立てなど、その時点では出来ないような、でもいつかはやりたいという夢を激しくかき立てられる本だった。
 
コロタン文庫の「全百科」もなかなかに凄かった。『ブルートレイン全百科』では20系・14系(寝台車)・24系全車の車歴表(当時は改造による各種の個室寝台車が出現する前であり、20系以外では改造車は少なかった)、『国電全百科』にいたっては、113系の各形式の何番から押込形通風器になったかとか、クハ103の何番からディスクブレーキつきの台車になったかとか、そんなことを形式写真をつけていちいち解説している。総ルビつき、子ども向けの体裁ながら、凄みを感じるほど手加減一切なし。
 
今、少年ファンにとって、定番となる入門書はあるのだろうかと思う。
 
いまや児童向け出版は少子化には勝てず、「科学」「学習」は消え、「小学○年生」も「一年生」と、統合誌として創刊した「8年生」だけになった。
 
模型でもそうだが、もっと年少入門者を大事にすべきではないかと思う。
 
Bトレインショーティーですら、「本商品の対象年齢は15歳以上です。対象年齢未満のお子様には絶対に与えないでください」とパッケージにある。
 
商品担当者のインタビューをどこかで読んだが、Bトレはもともとは小学校高学年くらい、プラレールは卒業したが本格的なNゲージはまだ早いという層をターゲットにしていたという。ところがふたを開けてみると、Nゲージをたくさん買えるような大人が飛びついて、商品企画もそういう層にシフトしていったようだ。
 
でも、将来の担い手になるべき子どもを大事にしないとしっぺ返しを食らうような危惧を感じてならない。
 
どんどんマニアックになった結果先細りになったというのは、実は玩具全般がたどってきた歴史であるからだ。

中高生の頃から、相手が教師であっても、おかしいことはおかしいとはっきり指摘するような生徒だったわけだが、大人からすれば「理屈で言いこめる嫌なガキ」だったのだろう。

 

しかし、その流儀が当然とされる世界がある。学術だ。

 
わたしは英語が苦手で、理系にしても英語が出来なければ話にならないから、研究者になる事は早々に諦めたのだが、ムラ社会よりも、こちらが居心地がいいと思う。

鉄道写真家の「危機管理術」は何がスゴいのか(東洋経済ONLINE)

 

お、「ユータアニキ」だ。以前、とあるイベントでご本人にお会いして、「鉄道チャンネルの『鉄道勉強旅』に出ておられましたね」と声をかけたことがある。この番組は、どきどきキャンプ・佐藤満春が、鉄道芸人として知られるななめ45°・岡安章介と旅をするというもの。最終回、大井川鐵道に行って撮り鉄をしたのだが、指南役として「ユータアニキ」が登場。

 

鉄道撮影はグラビアモデルと違って、カメラマンの言う事を聞いてくれない。一度限りのイベント列車では文字通り一発勝負だし、職業カメラマンだと、彼が言うように、JR東海(もしくは西日本)の所属車両で(N700系は見分けがつきにくい)という注文も入る。

 

私が撮り鉄をしていたのはフィルム一眼レフの頃。今のデジタル一眼レフよりもはるかに緊迫度は高かった。今は秒10数コマ連写出来て、オートフォーカスの精度も高く、新幹線だろうが動体予測で自動的にピントを合わせてくれる。フィルムの場合、デジタルと違ってカットごとにISO感度を変えることは出来ないし、当たり前だが現像から上がってくるまで仕上がりを確認出来ない。失敗したコマはフィルムの無駄遣いでしかない。

 

鉄オタというと暗い、キモイというイメージを持たれるかもしれないが、実は危機管理・回避能力は優れているのではないかとも思う。

 

まず、絶対に遅刻をしないという事。列車は待ってくれないから。仕事でもプライベートでも、絶対時間厳守の考えが刷り込まれている。

 

旅に出ると、時刻表を駆使して分刻みのスケジュールを立てられる。そのときに応じて、速く移動できるルート、運賃を節約出来るルートなど考えられる。

 

万が一、乗り遅れたり寝過ごしたりして当初のプランが崩れても、決して慌てふためく事はない。そこは冷静に、その場で時刻表を繰って代替プランを立てられる。

 

……

 

分刻みで融通が利かないと思われるかな。

 

坂口杏里なんて、歳の割に子どもっぽくてだらしがないからああなってしまったのかも知れないが、もし鉄オタと付き合っていたら几帳面になれたかもしれないと思うのだ。

 

 

Twitterで、いつの間にかついているフォロワーを見ていると、やたら多い「起業」。与沢某みたいな情報起業系なのだろう。青年虚業家どもめ。

 

ポイント制出会いサイトにいるような男性は9割方、あわよくば素人とセックス出来ればと思っているのだろう。日記はその手の自慢話ばっかり(他人のセックスの自慢話なんか読んでも、面白くもなんともないよ)、聞かれもしていないのに女性に「条件は?」とか、第三者に見られるようなところでそんな事書いて恥ずかしくないのかよと思う。ああこいつはヤリチンだな、と。

 

昔から、雑誌の『ホットドッグプレス』とか、いかにモテるかというマニュアル本はあった。わたしも若い頃はその手の本を読んだことがある。しかし、前にも書いたとおり極端な口下手だから、合コンみたいな社交的に振舞う場が大の苦手で、学部学科もサークルも女性が少なく、彼女なんか出来なかったけれども。

 

「恋愛工学」なるものの存在を知る。本のほうは読んでいないので、読まずに批判するわけにはいかないのだろうが、それでも、ネットの記事から垣間見える内容を拾い上げてみると、どうやらいかにセックスするかということに終始しているようで、恥ずかしい、男性として、女性に申し訳なく思う。

 

「恋愛工学」はなぜ危険なのか 女性蔑視と愛の砂漠 森岡正博(PDF)

 

「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」
「ああ、無料のな」

 

女性を「無料のソープランド」と思っている男性は、逆に女性から「無料のホストクラブ」と思われも仕方がない。

 

女はやさしい男も、誠実な男も求めちゃいない。驚くことに、イケメンや
金持ちといったこともさほど重要な要素ではなかった。女は、単に他の女
とセックスできている男が好きなのだ。人間のメスも、グッピーやメダカ、
それにウズラやキジのメスたちといっしょなのだ。


女と恋愛するのに、愛など必要ないのだ。

 

小林一三が『逸翁自叙伝』で書いていた、といっても、この自伝本は持っていたが、読むのに挫折したので、阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』からの孫引き。阪田も指摘するように、話があっちゃこっちゃに飛びまくって、通読はつらい。

 

小林の慶応義塾時代の学友の一人で、花から花へ甘蜜を吸うのが得手で「蝶々」と呼ばれた株屋の若主人がいた。彼はこう言う。

 

「女といふ奴は、別嬪であればある程、浮気性にきまってゐるから、高くとまってゐる第一流をねらふというのが一番安全だ。射落とすこともラクであれば又いつにても逃げて見せる。故に僕は義理や人情で悪縁だなどといって、一人の女に苦しんでゐる連中を見ると、馬鹿らしさに失笑せざるを得ないのだ。これは誰にでもある自惚れの罪であり、費ったお金に未練のあるシミッタレの証拠だ。逃げようと思へば浮気をし給へ」

 

それから六十年後の、小林の「まとめ」。彼は「蝶々」にはなれなかった。

 

「彼は一生この浮気論を実行して他界したのである」

 

わたしは個人主義者だ。個人主義とは利己主義とは違う。自分にある権利は、他者にも当然あると思うのが真の個人主義というものだ。だから、「恋愛工学」に垣間見える蔑視が、鼻持ちならない。

『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 13 国鉄の気動車1950』を読み返している。

 

巻頭の、「西尾源太郎氏が語る 楽しかった鉄道人生」、こんな人生には誰もが憧れる。
 
1920年生まれ。ライブスチーム(実際に蒸気で動く蒸気機関車の模型。いわゆる「ミニSL」)を自作したいけど、旋盤がないから作れない、ならば国鉄に入って本物を作ろうと思い立ったところから、只者ではない。
 
しかし鉄道省に入るとすぐに陸軍に入営させられる。大学では蒸気機関車の理論たる熱力学を学んだが、陸軍では、これからの戦争は飛行機だろう、と考えて航空を志願。「お前は鉄道省だろう。それなら直流直巻モーターを知っているか?」と聞かれた。知っていますと答えると、「お前はプロペラ屋になれ」。機械が専門で電気は専門外だったが、模型趣味のおかげでモーターの事はよく知っていた。陸軍ではプロペラのピッチ変換に直流直巻モーターを使っていた。
 
戦争の末期近くになってフィリピンに行かされて、ジャングルの中を、東京米原間ほどの距離を逃げ歩いた。“九十九死に一生”と語る。
 
どうにか生きて帰ってきて国鉄に復職する。家族が札幌に疎開していたので苗穂工場勤務を命じられるが、苗穂では大して仕事がなく、C62の設計主任である衣笠敦雄が郡山工場長に赴任するときに部下として呼んでもらって、そこから運がまわってきたのだという。郡山は東北筋のC61・C62を受け持っていて苗穂とは活気が違っていた。その後、手腕を見込まれて、労使問題で揺れていた大宮工場の建て直しに呼ばれ、静岡局の機関車課長になった頃からは電気機関車にも関わり、本社の運転局車務課へ。
 
全国の機関車運用を司る、機関車の全国の配置を自分で決められるという、ファンにとっては夢のような仕事だ! プロ野球ファンなら誰しも監督になってみたいと思うだろうが、それと同じだ。
機関車が可愛くて可愛くてしょうがなく、1両1両を見ていると人間みたいに思えましたからね
休車になっていたC54を復活させたり、(このインタビューでは触れられていないが)EF58の旧車体を、たまたま両数が一致、寸法もほぼ一致するEF13に転用(厳密には台車位置がわずかに異なるので調整している)したのもこの頃。
 
ただ、”生まれ故郷”は工作局だったので行きたいと上申すると技師長室に回されて、島秀雄の元で新幹線の設計課長をやることになる。西尾が、大学の卒論では東京-下関を9時間で結ぶ蒸気機関車をやっていたのを島が覚えていた。
 
十河信二と島が新幹線開業を待たずして去ると、西尾は四国の多度津工場長に異動。そこでやったのが、小田急ロマンスカーをまねて、気動車にミュージックサイレンをつけたこと。同じメーカー(八幡電気産業)に特注した。
 
多度津工場長を最後に国鉄を退職、気動車のメーカーである帝国車輌に入り、同社は東急車輛と合併、鉄道車両からは離れて東急建設や東急不動産で使う建材をやって、運輸省から声がかかって鉄道技術協会の専務に。
 
壮絶な戦争体験を経ているが、軍需がなければ技術は伸びないとも語っている。ディーゼルエンジン開発が停滞したのもそのためだと。
「AV出演強要問題」に関して、川奈まり子のツイートが議論を呼んでいる。
 
 
この問題が出てきたとき、「ヒューマンライツ・ナウ」なる団体に関して、わたしは胡散臭いと直感した。
 
ネットでは、左翼系人権屋などという風評が一部であるようだが、それらとは明らかに異質だ。わたしが抱いたイメージとしては、アメリカの共和党支持層にいるような、純潔を掲げるキリスト教右派である。セックスビジネスはなくすべき卑しい存在だと。
 
どうやら、わたしの勘は狂っていなかったらしい。
 
 
 
 ああ、セックスビジネスはなくすべき卑しい存在であり、AV女優や風俗嬢は不可触賎民と見なしているのだろう。
 
照合・確認した出演者の氏名、年齢、住所がわかるID を保管し、流通・販売・配信
等関連業者に交付し、警察等の照会にいつでも対応できる体制を確立すること(p53)
それって、街中にあるビデオ屋や個室ビデオボックス全部に、AV女優の個人情報をばら撒けということだよね。
 
ここの報告を見てみると、ことあるごとに警察は取り締まれって。弁護士だったら、公権力から個人の権利を護るのが使命じゃないか。
 
伊藤和子弁護士らに「ヒューマンライツ」を名乗る資格はないと思う。原発の件では菊池誠に批判されていたっけ。
 
ただし、AV業界に関しても、思うところはある。川奈まり子とSODにはあえて触れずに、同業他社に関して。
 
昨年メディアを騒がせた、坂口杏里AVデビュー。出てみると尻が汚いとか評判は散々。
 
MUTEKIのやり方、「芸能人」を食いつぶしてはいまいか。「芸能人」の知名度で売って、AVとしては一発屋で終わるような。坂口杏里本人が「業界でトップになりたい」といっていたが、男性が「抜く」ためのネタが、「芸能人ANRI」でなければならない理由などない。「代わり」はいくらでもある世界だ。
 
タイトルからして、元彼・小峠英二をネタにしているのは承知のとおりで、小峠が「やるからにはトップを取っていただきたい」とエールを送ったのが男前だとも賞賛されている。
 
AVの件からはそれるが。
「坂口は自身のブログで田代容疑者との親密な関係をアピールしていた。芸能界を目指す少女たちがその笑顔にだまされたのは、想像に難くない。少女たちが金を巻き上げられるなど毒牙にかかるのをほう助したとも言える。そんな男との付き合いが、小峠はどうしても許せなかった。男を見る目がなく、甘い言葉にすぐだまされる。ホストクラブ遊びと根っこは同じ。そんな危なっかしい女と結婚する気は毛頭ないし、だらだら付き合っていてもマイナスイメージが増えるだけ。最後は大人らしい割り切り方で坂口との交際にみずから幕を引いたのでしょう」
「男」だったら、そんな怪しい奴のところから、力づくで引っ剥がせなかったのかと、わたしなんかは思うのだ。
 
閑話休題。そもそも、AVの「賞味期限」は短い。一般の芸能界でも流行り廃りは激しいが、古いAVなんんて売ろうにもゴミ同然だから。比較対象がアレだが、鉄道模型なら、他社から完成品が出た車両形式の、「商品価値」はないと思われるガレージキットでも、売ればそれなりにお金になる。
 
AV女優も旬は短い。この業界に10年以上もいて、一般のメディアでもタレントとして活躍できる蒼井そらは極めて稀なケースといえる。ところが、特に、一度は「単体」として売れた女優であれば、「いちど出演してしまえば取返しがつかない」、一生AV女優というレッテルがついて回るのが実情だろう。飯島愛でさえも生涯逃れる事ができなかった。
 
(これが無名の企画女優であれば、忘れ去られるのも早いだろうが)
 
その辺を探っていて、上原あずみの事を知る。
 
正直言って、この人のことをよくは知らなかった。わたしは音楽に関しては、贔屓のアーティストを誰か一人決めて、そのアルバムを聴きまくるという聴き方なので、そのアーティストに限っては詳しくなるが、音楽一般に関しては疎い。
 
上原のいきさつに関してはここでは書かない。調べれば分かるだろうから。調べるうち、一人の人間が潰されて壊れていくさまを見せ付けられたような思いがして、涙を拭わずにはいられなかったのだ。
 
一生社会から爪弾きにされて、日陰で生きていかなければならないほどの事か。
 
それとともに、自分で言うのも何だが、「男気」が湧いて来た。もしこの人が、再びマイクを手にしたいというのであれば、ささやかながら、お手伝いさせていただきたいと。

 

HRNとAV業界の話から、一人の人間の話になって、話がずれてきたが、書かずにはいられなかった。

 

1939年制作の、名作との誉れ高い記録映画『鐵輪』。

 

この時代の映画として、精神主義めいた面は多々見られるが、仕事に誇りを持って打ち込む鉄道員の姿を生き生きと描いている。

 

道床のつき固め作業のシーン。「保線つき固め音頭」を歌っている。全員で調子を合わせるには、「音頭」が必要だった。何と歌っているのかと思っていたが、ニコニコ動画の方にあったコメントから、書き起こしてみた。
 

こんな歌詞。

 

我等の鉄道 ヨーイトサーノ

命と宝の ヨーイトコラサー

守りぞ打ち込め ヨーイトサーノ

保線の魂 ヨーイトサーノ

我等の鉄道 ヨーイトサーノ

雨風氷に ヨーイトコラサー

雪にも打ち込め ヨーイトサーノ

保線の魂 ヨーイトサーノ

雪にも打ち込め ヨーイトコラサー

保線の魂 ヨーイトヨイショー

 

今の鉄道マンにも、「我等の鉄道」に対する誇りは連綿と受け継がれていると信じている。