問題解決能力 | 日本トレーナー協会代表理事のブログ『もっと身体の声を聞こう♪』

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解決能力の『K』

私が小学3年とか4年生の話だ。学級委員会で、必ず人の意見にいちゃもんつける人間がいた。「じゃあ代案ありますか?」と聞くと「それはない」と黙る。数学の問題では無いのだから、完全なる正解はない。みんな正解に近いだろうと思う意見を、知恵を絞って出し合っている中で、知恵は絞らずに、出てきた意見に文句だけ言うのだ。なんて無責任で簡単や役回りだろう。

 

恐ろしいことに、そのレベルのやりとりが国会で行われている。

 

 

例えば憲法改正反対。反対は良いのだが、自衛隊の立ち位置をどうするのか? 拉致問題や尖閣、竹島に対する他国の行為にどう対処するのか? その具体案を聞いたことが無い。危険だ。戦争法案だ。軍が暴走したらどうする。他国の戦争に巻き込まれる。ただ無責任に国民の不安を煽る言葉ばかりを並べて、それに踊らされたデゥープスがそうだそうだと賛同する。その不安を少しでも解消するための議論はしない。混乱を巻き起こすことがそういう人間の目的である。

 

議論から逃げる人間は、自分が間違っていること、負けること、嘘を吐いていることを知っている、と考えていい。そして問題解決能力はゼロである。

 

 

多くの仕事の核となるのが、問題発見能力と問題解決能力である。

まず問題を発見すること自体が、実は難しい。ある人にとっては不便でも、ある人にとってはほぼ関係ない事象も多々ある。そこを改善することで便利になったり、効率が上がったり、みんなの役に立ったりする、という視点を多くの人が持ち、議論のテーブルに乗せてみることがまず大切である。

 

それから集まった問題を吟味し、何から手を付けるか、時間とお金と労働力の配分をどうするか議論する。

 

その工程はパズルに似ている。

まずパズルの意味を理解する。どういう手順で進めていけば、よりエレガントな解答を得られるか、いくつかシミュレーションする。「これかな?」と思う方法で解いてみて、他の人たちと答え合わせをしてみる。違う方法で同じ答えに辿り着いていたら、どちらが単純化できているか議論する。違う意見を論破するのが目的ではない。問題をよりスムーズに解決するために、意見を戦わせるのだ。

 

多数決、という方法は、実は賢明ではない。まずやるべきは議論である。問題の背景や歴史やデータや当事者や専門家の見解をしっかりと確認して議論する。それが抜け落ちていると誤認し誤解を生む。逆にそれを知れば譲歩という選択肢も生まれる。ゆえにいくら複雑でもやらなければならない。パズルの問題が長いからといって全部読まずに挑んでも、正解に辿り着けるはずがない。議論するみんなが、同じ問題意識の元、各自の意見を出し合い、回答に磨きをかけていく作業は、本当にスリリングで感動的だ。

 

解決までの道のりが決まってしまえば、あとはそれに沿って作業するだけだ。時間とお金と労働力が必要だし、面倒ではあるが、困難さはない。やれば進んでいく。