教育の本質 | 日本トレーナー協会代表理事のブログ『もっと身体の声を聞こう♪』

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教育の『K』 その2分の2

 

『覚悟のK』で教師をやり玉に挙げてしまったが、私は、教育とは、その国そのものの有り様であり、全ての国民に責任があると思っている。普段の生活から、文化、町の造りや治安まで、まっさらな赤ん坊や幼児や子供たちの脳に、周りのモノ全てが『刺激を与える力』つまり『教育する力』を持っている。

 

 

例を挙げると、イジメや体罰、自殺が問題となった時、その関連団体や組織に、全ての責任を押し付けるような報道がされる。構図としては分かりやすいし責任を問いやすい。しかし私は教育全体の敗北であり、文化の敗北であり、その土地の敗北だといつも考えている。声が届かなかったのだ。人を思いやったり優しくしたり、苦しくしても生き抜こうという教育が、情報が、自殺した人には届かなかったのだ。

  

漫画も音楽もゲームも文学も映画も芸術も、気持ちの良い挨拶も、衛生的で治安の良い町並みも、四季の移り変わりも。全て合わせても自殺する人に生き抜く術を伝えられなかったし、イジメや体罰をする人に疑問を抱かせられなかったし、自殺する人の衝動を抑えきれなかった『敗北』なのだ。「可哀そうですね」「酷いですね」と、上っ面ばっかり整えて、分かりやすく誰かのせいにし、自分は関係ないなどと考えて欲しくない、というのが私の考えである。

 

 

教師は教師でやるべきことがある。理事は理事で変えるべきことがある。私たちは私たちで出来ることがある。その土地で生まれた子供が、この土地が好きだと思ってもらえる環境を作るのだ。本当の優しさとは、思いやりとは、強さとは、道徳とは何なのか、日々の生活の端々で、言葉で、行動で伝え、伝承していくのだ。そういう『教育のK』で徐々にカタチ創られたものが、その土地を愛し、その人を愛する“『J』の意志”になる。

 

同じ失敗を繰り返しても自分の行いを顧みず、誰かのせいにして納得しているような、解決能力のない人間は、上っ面だけの『J』である。