前回のつづきである。
大伴金村は、皇統ではないのにも拘らず、大王家との姻戚関係をも持たず、42年にもわたってキングメーカーになり得た。
これが可能になるには、私は、次の3つの要件が必要になると思うのだ。
① 金村が武力を一点集中で掌握しており、対抗できる勢力がなかった。
② 金村の政治手法が飛びぬけて優れていた。
③ 彼自身が大王家を凌ぐ王だった。
まず、①だが、大伴氏が武力を保持していたことは記紀にも記載があるが、これが光るのは武烈大王の擁立期だけであり、物部氏などもっと強大な軍事力をもつ豪族がいた。
次に、②は、任那4郡割譲や、継体大王擁立にぐずついたことなど、政治手法も優れていると感じない。
最後に、③である。基本的にはキングは並存しながら複数のキングメーカーにはなり得ない。(院政時代を除く)
しかし、金村が武内宿禰のように、複数人物の集合体であれば、そのうちの一人が「王」だったということは、ありえるかもしれない。
つまり、私は大伴金村が複数人物の集合体であり、王の血を引くものだと見るのだ。
(つづく)