今回の図説のテーマは『古代朝鮮半島と倭人の動静』である。
(完)
前回のつづきである。
NHKの特集で「病の起源・心臓病」という番組を見て、
私が注目したもう一つの点は、飢餓時の胎児の発育過程である。
母親が十分な栄養を取らないとき、胎児は、心臓の発育を犠牲にする。
そして、脳の成長の方を優先させるそうだ。
だから、妊婦のときに十分な栄養を取らなかったら、
心臓の弱い子供が生まれるらしい。
人類は、明らかに進化の過程で、心臓よりも脳の発達を優先させているのである。
これらの真実を、目の当たりにすると、
私達人間にとって、「脳を使う」すなわち「考える」ことが、
神に与えられた「使命」であると思わざるを得ない。
「強靭な心臓」=「健全に生きながらえること」よりも、
短い人生でも、人間の強みである「頭」を使って精一杯「咲き誇れ」と、
神は我々にメーセージを送っているのかもしれない。
(完)
以前、NHKの特集で「病の起源・心臓病」という番組を見た。
現代人がいかにして、「心臓病」という病に冒されがちになってきたか、
その原因を進化の歴史を辿って紐解く。
この中で、私が注目したのは、2点ある。
まずは、N-グリコリルノイラミン酸(Gc)という物質だ。
このGcは、あらゆる動物の個々の細胞の周りに多く存在する。
しかし、人間にはない。
約270万年前に人類は突然変異で、この物質を失った。
ちょうどその頃から、人類の脳が肥大し、3倍の大きさまでになる。
細胞を包み込みガードするように存在したGcが無くなったため、
脳内の細胞同士の結合が強固になり、脳が発達しやすくなったのだ。
Gcを無くした事は画期的であったが、人間の体内ではGcは異物として認識される。
そのため、食肉などにより体内に大量に入ったGcが免疫反応により血管を傷つけて、
コレステロールが血管内に蓄積しやすい体質にしてしまった。
人間は、進化の過程において、心臓を犠牲にして、
脳の発達を優先させたということだろう。
(つづく)
以前のブログで、「右脳」が人格を形成すると書いた。
また、同じく過去のブログで、「人格ほど大切なものはない」と書いた。
これが、正しければ、「右脳」を鍛えることが、
「良い人格」を形成することに繋がるということが言えないだろうか?
例えば、音楽を聴き、絵画を鑑賞することは、「右脳」を刺激するが、
同時に「心」を養い、「良い人格」を形成することに寄与しているかもしれない。
武道などを極めると、心の鍛錬に行き着くといわれている。
これなんかも、体を動かして「右脳」を刺激して
「良い人格」を形成することと繋がりがあるように思う。
また、「良い人格」をもつ人の動きには、威厳や迫力があることなんかも、
すぐれた「右脳」が、体を思うように動かしている結果だといえなくも無い。
やっぱり、「右脳」を鍛えよう。
その人の個性とか人格などは、その人そのものであると言って過言ではない。
その人の人成りが、素晴らしければ、多くの人がついてくる。
そして、一緒にいたいと思う。
たとえ素晴らしい才能を身につけていても、
その人の人格が魅力的でなければ、
その才能に惹かれて近づいてきた人たちも、いずれは去っていく。
永続的な成功を収めようとすると、人を魅了する人格の形成が不可欠だ。
「人を魅了する人格」とは、一概に決まったタイプがあるわけではない。
尖った真実をとことん追究するタイプであったり、
周囲をとことん和ます癒し系であったり、タイプは色々ある。
そういう個性はありつつも、信頼の置ける、尊敬できる人格を持つことが、
人間として目指す方向なのである。