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かんとれ!

考えるトレーニング。
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世の中には、病気やケガなどで、左脳の機能を失った人たちがいる。





彼らは、右脳だけでも考えることができる。



感情を豊かに表現することができる。





しかし、文字を理解したり、話をしたりすることはできない。




言語を司るのが左脳である証だ。







一方、右脳の機能を失った人たちも世の中には存在する。




彼らは、話を理解し、文字を読むことができるが、




ロボットのように無表情であると言う。






つまり、「個性」や「人格」は「右脳」でつくられるということになる。





右脳を磨くということは、自分の品格を高めることにもつながるのだろう。




夢は「右脳」で見るという。





レム睡眠の間は、「右脳」が活発に動いていて、「夢」を見ている。






しかし、その「夢」を起きた後も、思い出そうとすると、




その情報が、「左脳」に伝わって、整理されていなければならない。






てんかんなどの病気が理由で、右脳と左脳をつなぐ、脳りょうを切断した人達がいる。





かれらは、「夢」を見ることが無いという。




右脳では夢を見ているが、それの情報を左脳に運べないため、




「夢」を見たことを思い出せないのだ。






「扁桃体」も、記憶に関与するが、夢の場合は、右左脳の連携で初めて




見たという記憶に残るようなのだ。




先日、NHKの「病の起源」という番組を見た。





今回は、「うつ」についての特集だった。






大脳新皮質の一部に、「扁桃体(へんとうたい)」と呼ばれる箇所がある。





これがストレスや記憶に影響をおよぼしており、



現代病である「うつ」にも関与している器官である。







危険の察知などにより、この器官を刺激すると、ストレスを感じ、



素早く逃走することができる。







しかし、刺激が長時間続くと、「うつ」になってしまう。




扁桃体は、記憶にも関与するため、強いショックも記憶する。





その記憶が、扁桃体を刺激し続けて、結果的に「うつ」になってしまうケースが多いそうだ。






脳内の各部位は、それぞれきちっと役割が決まっているということを知れば、




正しい「心」の持ち方のヒントになるのかもしれない。

前回のつづきである。





神武天皇の皇子である、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子供で、



もう一つ注目したいのは、多(おお)氏の存在だ。





多氏は、その後、太(おお)氏と姓を変更している。


一族からは、古事記を編纂した「太安万侶」が出ている。




ひょっとすると、昔は、王(おう)氏だったのかも知れない。



ようするに、大王家(天皇家)の親戚であると。





その証拠に、多氏の階級は高かった。






大王家がまだ九州に拠点を置いていたころ、




各地方の国造に自分の縁者を配置して、



さらに、タムロ制に則って、その血脈をクロスオーバーさせていったのだろう。







であれば、多氏は、そのタムロ制のスペアとなる氏族だったのかも知れない。


国造に空きが出れば多氏から派遣した可能性があるのかも。



徳川幕府旗本の松平氏のような存在だった、と考えるのはどうだろう。






多氏がそのような存在であったとしたなら、




子孫の太安万侶が、古事記を編纂した意味が分るというものだ。




(完)



国造(くにのみやつこ)は、古代の知事もしくは藩主にあたる。





九州の国造は、特別扱いされていたようだ。



それは、九州の国造だけが「君(きみ)」という呼称を付けられていたからだ。





筑紫君、火君、阿蘇君、大分君などと言われていた。



記紀には、これらの国造と天皇家との関係の深さが、記載されている。





例えば、神武天皇の皇子である、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子供が、



火君、大分君、阿蘇君、筑紫連三家、小子部連、多(おお)氏などとなっている。







お爺さんが神武天皇なら、「君(きみ)」と呼ばれるのは当たり前かもしれない。






この中で、注目したいのが、阿蘇君。







現代まで阿蘇神社の宮司、阿蘇氏として連綿と続いている。



天皇家とほぼ同じ長さで、家名をついできたことになる。





悠久の歴史を感じる。




(つづく)

5歳の娘が、「そろばん10級」に受かった。





あれだけ嫌がっていた、そろばんも、今は少し楽しいようだ。




複数桁の足し算、引き算だけでなく、掛け算まで、そろばんで解いている。





44歳の父親は、もうついて行けず、教えることができない。。







そんな娘から、先日、質問を受けた。





「9たす2が分らない。 答えはなに?」




「えっ!?」





「掛け算もスラスラ解いているのに、なんで分らないの?」



「わからない~!!!」





「じゃ、そろばんでやってみたら?」




娘が、そろばんをごそごそ出してきた。




そして、瞬時に解くと、「わかった!! 11だ!」




      +      +      +      +





娘は、まだ暗算が苦手なのだ。




数がやっと数えられるようになった3歳から、そろばんをやっているため、


そろばんでしか、計算できないのだ。






通常、普通の大人は、足し算を左脳を使ってロジカルに考え、暗算して答えを出す。





しかし、彼女はその訓練をしたことがなく、そろばんと、右脳を使って答えを出していたのだ。




      +      +      +      +




そう考えると、私は娘にアドバイスした。





「頭の中にそろばんをイメージして、指を動かして計算してごらん!?」






そして娘は、指を空で動かしながら、




「出きる! 簡単に計算できるよ!」







彼女の、左脳を鍛えるのはもう少し後で良さそうだ。




前回の続きである。







世の中には、「てんかん」などの病気のため、



右脳と左脳をつなぐ、「脳りょう」を切断した人たちがいる。







日常生活には支障はないが、



右脳と左脳の指令権争いで、時々混乱をきたすことがある。







右目と左目の視覚を奪い、もしくは、同じものを見れなくした状態で積み木をさせると、



右手と左手が喧嘩をし始め、簡単な積み木が出来なくなるらしい。







右手は、ビジュアルと感覚で考えながら、



積み木をすいすい組み立てていくが、




ロジックで、一から考えながら組み立てて生きたいと思う左手が、



そのスピードについていけず、苛立ちを募らせる。







そして、右手の作ったブロックを、壊し始めるのだそうだ。






我々は、自分の中に違う人格者を二人もっていると、言えるのだろう。





(完)



今読んでいる本は、これである。




あなたの右脳が全開する!―左右「二つの脳」を最高度に発揮する画期的ノウハウ/三笠書房
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この中に、右脳と左脳が、指令権を争っているという記述があった。







それぞれの脳は、得意分野が分かれており、得て不得手はあるものの、



それぞれ、完結した命令を、体の細胞に出すことが出きる。







右脳と左脳をつなぐ、「脳りょう」という器官が右脳と左脳の調整を行っている。




つまり、言語で考えるときは、左脳に、ビジュアルで考えるときは、右脳に、




その指令権をゆだねるのである。






ただし、この「脳りょう」はいわゆる「パイプ役」であり、「脳りょう」自身が、


指令権を持っているわけではない。





あくまでも、右脳と左脳が、脳りょうを通じて得た情報をもとに、


指令権を調整しているのである。





まるで、推進装置をチョコチョコ切替える、ハイブリッドカーのようだ。




(つづく)


前回の続きである。





縄文系土着民の集落で育てられた子供達は、



縄文系の文化を色濃く吸収していく。





母親の影響は絶大なのだ。






しかし、ヤマトの民である父親も、




彼らは自分の子供達であると違和感なく思っている。




母系民族であるため、あたりまえと言えば当たり前だ。







こうして、縄文系と渡来人系の文化は、違和感無く融合し、



独自の日本文化を生み出して行った。







      +      +       +       +






以上、8回にもわたり、くどくどと書いてきた。





あくまでも想像上の話であるが、



ありえるストーリーだとは思われないだろうか?




(完)



前回の続きである。





博多湾岸の集落の民として、縄文系土着民たちに認められるようになった彼らは、



積極的に、土着民達と交流するようになった。







一旦、打ち解けた後の、土着民たちは温かい。




ヤマトの民はもう、チームの一員なのだから。







ここで、困ったことが起きた。




ヤマトの若者達が、縄文系土着民の若い娘に、




片っ端から手を出し始めたのだ。






ヤマトの若者達は、決してふざけていたわけではない。





彼らには、「若衆」という夜這いの文化があったのだ。






若い、縄文系土着民がどんどん孕んでいく。







基本的にヤマトの民は、母系民族であったため、



ハイブリッドの子供達は、縄文系土着民の集落で、




育てられることも、多かっただろう。






こういうことが何世代もつづくと、インディオのケースが良い例であるが、


もはや縄文系や渡来人系という垣根がなくなってくのである。






(つづく)