前回の続きである。
山門(ヤマト)での開墾の成功のうわさは、
博多湾岸の集落にすむ縄文系土着民の人々の耳にも入った。
そして、その成功を目の当たりにして、教えを請おうということになった。
縄文系土着民である彼らの文化ルーツは、色々有るが、根幹となるのは、
マンモスハンターとしての文化だ。
(過去ブログ『「死穢」(しえ)と「和」』: http://ameblo.jp/shinzuru/entry-11505666132.html )
マンモスハンターはチームプレイを強要される。
そして、それは現代でも「和」の思想として、深く日本人に根ざしているのだ。
博多湾岸の、縄文系土着民たちも、ゆるやかに連携していたのである。
彼らを仲間に入れるかどうするか、様子見もかねて、
稲作の方法の教えを請うことにしたのである。
とにもかくにも、縄文系土着民たちは、ヤマトの民に接触してきた。
そして、徐々に交流を深め、ヤマトの民は隣人として認められるようになっていく。
(つづく)