「たら」による支配(3) | かんとれ!

かんとれ!

考えるトレーニング。
ビジネス脳を鍛
える!書評よ
りも、得た情
報についてさ
らに考えるこ
とにより、
自分のモノと
して消化する
プロセスこそ大切。
キーワード応用、朝礼、
多読・速読、
仮説と検証、
中小企業診断士、
経営分析ツール

前回の続きである。


前回、神功皇后と「多羅国」との関係が深いことを述べた。


実は、「多羅国」との関係が疑われる古代の天皇は意外と多い。


6代 :考安天皇(オホヤマトタラシヒコクニオシヒトノスメラミコト)

12代:景行天皇(オホタラシヒコオシロワケノスメラミコト)

13代:成務天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)

14代:仲哀天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)

34代:舒明天皇(オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト)

35・37代:皇極・斉明天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト)



古代の朝鮮半島では、檐魯(たむろ)制という、いわば徳川時代の御三家のような制度があった。

百済や新羅の王家とも血脈上の交流があった。


当然任那の都市国家とも交流のあった、古代大和朝廷の大王もその一員だった。



ここに挙げた、大王はその名前から「多羅国」とのつながりが見え隠れする。



これは想像にすぎないが、


ひょっとすると、これらの大王は、「多羅国」から派遣されてきたのではないだろうか?



すごく、飛躍した話のように思うが、幕末末期の徳川家を重ね合わせると、あながち有り得ない話ではなさそうだ。


(つづく)